71〗Stadio Silvio Piola / ヴェルチェッリ

試合は前半アスコリが先制。オッソリーニは初戦からアシストを記録、ノルマは果たして七十分過ぎに交代。一点ビハインドのホームチームが終了間際に追い付き両クラブはドロー発進。試合を裁いた主審が無事スタジアムを後にできたのかは定かではない。何故ならばキックオフが20時30分。日本人親子もミラノ行き終電列車に乗るべく、終了のホイッスルを聞かずにスタジアムを駆け足で去ったのだから。
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映画祭と同い年のスタジアム 偉大なる教育大臣現る

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このスタジアムが完成した1932年はヴェネツィア·ヴィエンナーレから国際映画祭が派生している。’36年(第四回)から国際審査員制度を設けると映画祭の権威は高まる 37年8月10日には建築家ルイジ·クァグリアータ:Lugi Quagliata【1899年9月13日生-1991年2月14日没】設計によるパラッォ·デル·シネマが完成し第五回の幕が開く。当時の映画館の座席数は千席だった。それにしてもドイツやロシアが近代的な芸術を弾圧したこの時代にファシズムの国であるイタリアのみ逆行しているのは特異。この対極の文化芸術政策を打ち出したのがジュゼッペ·ボッタイ:Giuseppe Botta【1895年9月3日生-1959年1月9日没】その人である。イタリア学士院を創設したボッタイは著名な芸術家は学位や試験なしで大学教授職に就ける優遇措置を施した。’36年国民教育大臣に任命されると自然·景観美保護法など次々と政策を打ち出した。まず監督機関数を拡大し科学活動を推進。次に芸術的価値のある物品の輸入/複製/収集の規制。そして科学技術に基づいた修復研究所の設立である。また顕彰事業(ベルガ賞)を創設した。クレナモ賞に対抗したため保守派から攻撃を受けている。 
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この年イタリア王国はアルバニアに侵攻し保護領にしているが、これはドイツがチェコスロバキアに侵攻したから、「だったら ええやろ」と便乗しての宣戦布告。
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同じ敗戦国 イタリアのあって日本にないのは 憲法に芸術の二文字

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今夏参院選の争点ともなった憲法改正。仮に国民の大多数が憲法改正を求めても、国会議員の3分の1が反対すれば改正できないのは日本ぐらいではないだろうか。第21条に「表現の自由」はあっても日本国憲法の条文には芸術の文字は見当たらない。それに比べ1948年制定されたイタリアでは第九条に「国の風景と歴史的芸術的遺産を保護する」とあるから、前話で取り上げたメガソ-ラ-設置問題など憲法違反になりかねない。あらためてボッタイの偉大さが身に沁みるのだが、彼の家は祖父の代からワインを扱う商人だった。ネッビオーロも飲み過ぎると最近は異に沁みる。〖第七十一話了〗

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