Foot ball Drunker〔5〕visiting 『Stadio Brianteo 』モンツァ / イタリア

『タンジェントポリ』から30年。地中海の長靴で変わらぬ政治不信

故シルヴィオ・ベルルスコーニ氏【Silvio Berlusconi 1936年9月29日-2023年6月12日】の急死により、伊全土が注目した遺産相続問題も一件落着。注目の女性、マルタ・ファッシーナ:Marta Fascina【1990年1月9日生】議員も8月8日Stadio Brianteo =
ユーパワー・スタジアムでの第一回シルヴィオ・ベルルスコーニ杯で姿を見せた。


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最後のお務めとなった2011年から今春来日した現職まで、12年間で7人の首相は多すぎやしないかと誰もが思う。

1992年伊政界に激震。ミラノ地検による政官汚職=タンジェントポリの大規模捜査を受け、政界再編後の政権を主導したのがベルルスコーニ。


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故室伏哲郎:Tetsuro Murobushi 【1930年12月14日-2009年10月26日ot】氏の『汚職の構造』(岩波新書)が書店棚に置かれたのが1981年。

銀座のオフィスを訪ね原稿を修正していただくはずが、室伏先生に「この文章は素人だ!」と罵倒され、結局ご本人に執筆していただいたのは23年前。その頃はサラリーマンしか経験しておらず、文章といえば報告書程度しか書いたことのない正真正銘のド素人であった。これを機に執筆作業にも前向きに取り組むようになると、何を間違ったか四年後には専門誌に連載・寄稿、現在もこうして文章を綴っているのだから恩師の一人に違いない。

モンツアと関わったロッソネロの大物達。

保守的なイタリアのフットボール界の改革にも着手。87年には無名の指揮官アリーゴ・サッキ:Arrigo【1946年4月1日生】
に白羽の矢を立てたベルルスコーニ。愛弟子の出世頭は現イタリアサのッカー連盟副会長のアレッサンドロ・コスタクルタAlessandro Costacurta 【1966年4月24日生】。21年間の現役生活はミラン一筋。唯一他クラブで過ごしたのが目と鼻の先にあるモンツァに貸し出された86-87シーズン。


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