日本対ジャマイカ戦は、セオドア·ウィットモア:Theodore Whitmore【1972年8月5日生】が二得点を決めて初勝利へと導いた。ジャマイカ代表がFIFAワ-ルドカップに出場したのは後にも先にもこのフランス大会だけ。貴重な勝利をプレゼントしてしまったが、それに対してボブスレーチームは、’88年初出場以来、ミラノで合計十回目の冬季五輪出場を記録したのだから大したもの。
あの日あの時は◼️2014年12月12日リーグアン18節オリンピック·リヨン対SMカーン。ジェルランの入場者数は三万三千人。市内を散策するとは試合開催の宣伝告知も目に入る。地元出身のマキシム·ゴナロン:Maxime Gonalons【1989年3月10日生】とアレクサンドル·ラカゼット:Alexandre Lacazette
カゼット【1991年5月28日生】の代表常連組をはじめ、名の知れ渡ったプレーヤーが揃うOLは三位。対して前年二部からの昇格クラブSMカーンは十九位。キックオフから前半、劣勢の青赤縦縞のユニフォームの中で目に付いたのは中盤の十七番。大半の時間を守りに割いた中で小柄な黒人の運動量と粘り強さは、クロード·マケレレ:Claude Makélélé【1973年2月18日生】を彷彿させた。ガス欠になったか後半20分でベンチに下がった。
翌年レスターへ移籍するとプレミア制覇に貢献、ここで一気にブレイクし代表に招集されたのがエンゴロ·カンテ:N’Golo Kanté【1991年3月29日】。ジェルラン以降チェルシーでのプレーを何度かロンドンで見ているが撮影の許可がおりなくてスタンドからの観戦。レンズに収めたこの写真は’22年サンド二でのデンマーク戦。
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ポジションも瞳の色も父親とは事なるレジェンドのジュニア加入
さて今季、UEFAヨーロッパリーグではリーグフェーズ首位でベスト16進出を決めるなど復活の気配漂うリヨン。シ-ズン前にラガゼットはサウジアラビアへと去ったが的確な補強が成功。個人的に注目はディフェンダーのルーベン·クライファート:Ruben Kluivert【2001年5月21日生】。年明けASモナコ戦から四試合スタメンフル出場で四連勝。ナント戦と二-ス戦は負傷で欠場したもののチ-ムは六連勝で国内リーグも三位まで浮上してきた。父親は言うまでもなくあのパトリック·クライファート:Patrick Steven Kluivert【1976年7月1日生】。そして母親はアンゲラ·ファン·フルテン:Angela van Hulten。「誰?その人」と聞かれても、筆者もわからない。ルックスは芸能人にも思える美貌の持ち主ながら年齢経歴は不明の一般人。但し2000年の結婚式は記憶に残っている。なぜならばクライファートはスリナム系の黒人でフルテンが白人だったから。黒人選手と白人選手の間で不協和音が絶えないのが’90年代のオランダ代表。アムステルダムを初めて訪問した際、白人は中央部、南東=Zuidoostは黒人、Kolenkitなど西側にモロッコなトルコ系が多く居住区が肌の色でエリア分けされているのを痛感しただけにクライファート夫妻には正直驚いた。
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猪木VSアリ世紀の一戦から二十二年 リヨンで日本代表を黒い壁が阻んだ6.26
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人種差別を理由にオハイオ川に投げ捨てたのはフィクションかもしれないが十八歳で金メダルを獲得したのと生涯黒人差別に抗ったのは事実。カシアス·クレイ:Cassius Clay【1942年1月17日生-2016年6月3日没】。またの名をモハメドアリは兵役を拒否するなど、リングの上だけでなくその生きざまが、最も格好いい黒人アスリートで、彼を知ったきっかけは当時連載中の漫画『愛と誠』。太賀誠の憧れの存在としてクレイ、後のアリが登場したからである。そのアリとプロレスラーのアントニオ猪木:Antonio Inok【1943年2月20日生-2022年10月1日没】が日本武道館で対戦したのが1976年6月26日。半世紀が過ぎた2016年6月4日アリが鬼籍に入って既に十年の歳月が過ぎた。前述の日本対ジャマイカ戦が二十二年後の同日だったのはハッキリ覚えているが離婚した元嫁の誕生日も同日だった事にも今さらながら気づいた。
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天に召された兄への想いと絶望から自らを救い上げたR&Bの名曲
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