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ジュネーヴにはなかったスタッド·ドゥ·ジュネーヴ
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第69話は国際都市としても名高い《平和の首都》のスタッド·ドゥ·ジュネーヴ。ジュネーヴ国際空港はジュネーヴ州の最北フランスとの国境メイランに設けられており、その敷地は国境に跨っている。空港から市内中心に移動する途中には国際連合オフィスが入ったパレ·デ·ナシオンがあるので寄り道。ダニエル·バーセット:Daniel Berset【1953年9月30日生】作の巨大な『壊れた椅子』を前にして一休み。空港からスタジアムへの交通アクセスは非常に良い。但しトラムが着いたのはジュネーヴ市の西側にある自治体ランシーだった。
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このスタジアムを本拠地とするのがセルヴェットFC。2003年に新スタジアムが完成したものの財務状況の悪化で’05年に破産し三部降格を味わった。現在FCバーゼル所属の常本佳吾:Keigo Tsunemoto【1998年10月21日生】が所属していたのは昨季まで。
あの日あの時は■2022年6月13日UEFAネーションズリーグ第四節スイス代表対ポルトガル代表。カバー写真の撮影許可証が示すとおり取材したのは三日前のスペイン代表戦。但しこの試合は0-1で敗退。そこでハリス·セフェロヴィッチ:Haris Seferović【1992年2月22日生】が頭で決めた虎の子の一点を死守したこの試合に。
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アラブへと旅立ったムスリムのストライカ-
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’92年の紛争でスイスに移住したボススニア·ヘルツェゴヴィナ人の両親の元に生まれる。ルツェルンのユースアカデミーからグラスホッパー·チューリッヒが引き抜いたのは十五歳の頃。スイスU17代表に招集され‘09年のU17ワールドカップで世界一を経験、自身も得点王に輝く。同年プロデビュー当時のインタビューでイスラム教徒の家庭に生まれたものの戒律をすべて守っておらず「豚肉は食べることもあり、シーズンオフであればラマダン中に断食を行う」と答えている。
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’13年にはボスニアヘルツゴヴィナからA代表の誘いを蹴ってスイスA代表入り。彼のこれまでのキャリアで最も多くの試合に出場したのがベンフィカでの百八十八試合。長く暮らした都市は母国を除けば’17年から’22年まで暮らしたポルトガルのリスボンになる。この試合終了後はトルコのイスタンブールへと貸し出された。下写真はUAEの首都アブダビの空港で’19年に撮影。ハイネケンの500ミリ缶が千円以上して中東だから仕方ないと思ったが、今のスイスも変わらない。’23年からはUAEガルフリーグでプレーするセフェロヴィッチ。ムスリムであれば居心地は悪くないのか。
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スペイン戦の試合前、記念撮影をする微笑ましい風景。この日もスタンドは多くのスペインサポーターで埋め尽くされた。おそらく皆がイベリア半島からフランスを跨いで応援に駆けつけてはいないはず。スイス国内在住のスペイン人が、かなり多かったのではないだろうか。そしてポルトガル戦では更にアウェーサポーターの数が増えるかと思いきや意外に少なかったのかもしれない。
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