皇帝も庶民もお肉は大好物
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2022年5月29日のWSGティロル戦は、UEFAヨーロッパカンファレンスリーグを賭けたプレーオフ。勝利したものの昨季はスイスの無名クラブの前に予選敗退。今季も欧州の舞台から早々に降り、国内でも不振が続くラピドウィーンは、ゾーラン·バリシッチ:Zoran Barisic【1970年5月22日生】監督を先月解任している。
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カバー写真の一皿はウィーン版のグーラシュ。ハンガリーのスープ料理グヤーシュが隣国に伝わり牛頬肉のシチューにアレンジされたらしい。この世の春を謳歌するハプスブルク帝国。国内各民族の伝統料理が帝都ウィーンへ持ち込まれ、宮廷料理人達がブラッシュアップ。ハプスブルク家でも、《カイザー·グーラシュ》は好まれ、肉は当然牛フィレを用いて調理されていた。
欧州で好まれる牛は赤身肉。今でこそ健康志向が高く脂肪分を排除しているが1920年代までは、ウィーンでも脂身が高価で取り引きされていた。
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第67話はウィナーSCの本拠地スポーツクラブ·プラッツ。
小さなスタジアムではあるが、天然芝の手入れが行き届いており、スタジアム全体の雰囲気が良い。三部=アマチュアレベルで1,200人を超える観衆には正直驚いた。市内に数多くのクラブが存在する中、このクラブにこだわる理由が気になる。
「19世紀末は帝国内のチェコ·スロバキア·ハンガリーすべてのクラブでも参加して大会が開催されていたんだ。」とまったく関係ない自分の知識の自慢話をするご老人。その時代を生きていたような口ぶりで面白い話だろうなと思いつつ理解を断念、語学力不足が悔やまれる。
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クラブが設立されたのは1883年。多数の競技種目が部門別に設けられた市民総合スポーツクラブ。第二次大戦以前はアイスホッケーをはじめ、ウィンタースポーツも盛んだった。黎明期には複数の競技をこなす選手も珍しくなく、フットボーラーで構成されていたアイスホッケーチームが、1912年のに第一回国内選手権で優勝している。それでも二足の草鞋は無理があったか、1921年にアイスホッケー部門は運営を中止に。1911―12年初のフットボール国内選手権が開催され優勝はラピド。ウィナーSCも健闘しており2位でフィニッシュしている。二兎を追う者は一兎を得ず。フットボール一種目に絞ると1922年に念願の初優勝。そして二次対戦後平和が戻ると1958年、59年と連覇で欧州の舞台へ。
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ヨーロピアンカップ(現UEFAチャンピオンズリーグ)では前年ACミランを一蹴したラピドに続き、ウィナーSCも衝撃的なデビューを飾る。
まずは第四回大会となる1958-59シーズン。ビアンコ・ネロを木っ端みじんに打ち砕いウィナーSCのウェアの色は、・・・映像がモノクロなので判らない。9月24日トリノでの初戦は1-3で落としている。しかし10月1日エルンスト·ハッペルでの怒涛のゴールラッシュ。この逆転で勢いづくとチェコのプジーブラムを退け、準々決勝でこの大会を制すレアル·マドリーと対戦。3月4日ホームはスコアレスドロー。3月18日は7-1の大敗で四強どまり。
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