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ベルギー代表の強さの秘密と可能性【後編】 躍進する現チームと可能性

 欧州の各国リーグが開幕して迎えた今季初の代表ウィーク。世界中でW杯予選や親善試合が行われる中、欧州では2016年にフランスで開催されるEURO予選が行われています。そんな中、世界中で代表戦が行われる前に最新のFIFAランキングが発表され、トップ10に躍進著しいウェールズが9位に入って話題を集めています。

 ランキングのトップには昨年のブラジルW杯と今年のコパ・アメリカで共に準優勝に終わったアルゼンチンが3カ月連続で座り、ブラジルW杯を制した「世界王者」ドイツが3位に沈み、その他、コロンビアは半年間も4位をキープし、凋落したとはいえ、ブラジルは5位。そのコパ・アメリカで初優勝を果たしたチリが8位へと急浮上しています。コパ・アメリカが行われた直後とはいえ、上位8カ国の4つを南米が独占している中、2位に位置しているのがベルギーです。

 2010年にはFIFAランキング68位にまで沈んでいたベルギーが2年前からトップ10の常連となり、現在は2位にまで躍進してきた理由とは?筆者は約3カ月前にもFIFAランク2位浮上を機に、ベルギーという多民族国家が抱える文化的背景や、異文化への適応力も含めた独自の育成改革などについて、「ベルギー代表の躍進の裏側」と題した記事を執筆しておりました。

 かなり間が空きましたが、現在もFIFAランク2位を維持するベルギー代表について、今回は現チームの実情と、その大きな可能性について説いて行きたいと思います。

 尚、過去2項の記事は以下を参照ください。

【前編】「なぜ低迷が続いたのか?」
【中編】「独特の育成改革」

育成年代で確かな成果を挙げるも、5大会連続主要大会出場を逃し続ける

 ベルギーは2000年のEURO(欧州選手権)をオランダと共催したものの、W杯とEURO史上初の開催国(共催国含む)で初めてのグループリーグ敗退を喫しました。1980年には欧州選手権で準優勝、1986年にはW杯ベスト4という世界にその実力を知らしめた「赤い悪魔」ベルギーにとってはそれが「恥」でしかありませんでした。

 そんなベルギー復活の狼煙となったのは2008年の北京五輪でのベスト4進出。現在はフル代表とマンチェスター・シティでも主将を務めるDFリーダーであるヴァンサン・コンパ二を始め、トーマス・フェルマーレンやヤン・フェルトンゲン、マルアン・フェライニ、ムサ・デンベレ、ケビン・ミララスなど現在はプレミアリーグで活躍しているタレントが独自の育成改革(【中編】参照)により台頭してきた好チームでした。

 しかし、大きなポテンシャルを持ったタレントが揃っても、フル代表としてのベルギー代表は2010年の南アフリカW杯、2012年のポーランド/ウクライナ共催のEUROへの出場も続けて逃しています。プレミアリーグを中心に選手個人のポテンシャルの高さを実証していたため、それまでのような停滞感はなかったものの、依然として”ポテンシャルの高い興味深いチーム”止まり、が当時のサッカーファンの一般的な認識と言えるでしょう。

 ベルギー代表は育成年代で成果を挙げながらも、フル代表では2002年の日韓W杯ベスト16進出以降の10年間でW杯2回、EURO3回の合計5つの主要国際大会への出場権を逃し続けていました。その10年間でフル代表の監督が5回も替わっているのですから、チーム力の積み上げも難しいのは御察しの通り。

 特にオランダ人のディック・アドフォーカートと、母国人のジョルジュ・レーケンスという、攻撃的なサッカーを志向するベテラン監督として期待が大きかった2人を続けて招聘しながらも2012年のEURO出場を逃したのは痛かったはず。 アドフォーカートがロシア代表監督へ高額サラリーに目をくらまして転身し、レーケンスが2012年のEUROを逃すと辞任しながら即座に国内クラブのクラブ・ブルージュと契約して去っていく姿からは、ベルギー代表監督というポストの地位は低く見られていたのかもしれません。

派手さはなくともタレントを束ねる「調整型監督」ヴィルモッツのチーム作り

 ただ、怪我の功名か?2009年にアドフォカ―トが代表監督に就任したタイミングから代表チームのアシスタントコーチを務めていたマルク・ヴィルモッツがレーケンスの後を継いで監督へ就任。2代続けて代表監督のポストが急に空白となる緊急事態からの内部昇格だったと思われる人事ながら、これがベルギー代表復活へのラストピースに。

 選手としてはベルギー代表キャップ70試合を数え、母国代表の主将を務めたヴィルモッツ。日韓W杯の初戦で日本相手に豪快なオーバーヘッドキックを決めている事で、日本のサッカーファンにとっても印象が深いベルギー代表のレジェンドですが、指導者としては全くの無名。監督としての経験は現役時代のラスト3カ月をドイツのシャルケ04で選手兼任監督と、自身の出身クラブであるシント・トロイデンのみ。しかも、正監督として初めて務めたシント・トロイデンでは1年を待たずに解任されている始末。その後は国会議員へ転身していました。

 しかし、現役時代はトップ下や攻撃的MFという華やかなポジションを務めながら、果敢なスライディングタックルを筆頭にユニフォームを汚す泥臭いプレースタイルで人気を集めたヴィルモッツは、2代続いたベテラン監督による攻撃サッカーのコンセプトは継承しながらも、自身の現役時代のようなハードワークの意識を浸透させ、遂にタレント軍団ながら多民族国家の影響もあってまとまり切らなかったチームが1つに。