Foot ball Drunker 〔22〕visiting 『Nature Energy Park 』 オーゼンセ / デンマーク

デンマークの超新星、2008年に現る

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UEFA欧州選手権=通称EURO 2024予選は、第7節を終了。感染症拡大で1年間隔が縮まっての開催。前回の《エリクセンショック》衝撃の記憶を払拭する活躍に至らなかった昨年のカタール・ワールド杯。


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カバー写真の二冊のマッチデープログラム。表紙は共にクリスティアン・エリクセン:Christian Eriksen【1992年2月14日生】。ウェンブリーでのUEFAチャンピオンズリーグ。消火試合のトッテナムベンチに姿は見当たらず苦笑。手前は2010年3月29日のエールディビジ。アヤックスVSフローニンヘンの試合。年明け1月17日にトップデビューしたばかりのエリクセンにとって人生初の表紙に違いない。


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130万大都市圏のコペンハーゲンに極端な人口の偏りが見られるデンマーク。第二位のオーフス首都圏は90万、3位オールボーと4位のオーゼンセは周辺を含めても50~60万人程度。首都圏の半数にも満たない。

港町メデルファードに生まれた少年の才能は2005年のオ-ゼンセ・ボルドクラブに在籍していた頃から地元のフットボールファンの間で話題に。2008年2月4日U17代表チーム一員として、ポルトガルU17代表と対戦したのがナショナルチームデビュー。

マドリッドのデンマーク対決 白い巨人まさかの敗北

はエリクセンを輩出したオ-ゼンセ・ボルドクラブの本拠地ネイチャー・エネルギー・パーク。
クラブの歴史に刻まれる勝利は1994年12月5日。マドリッドのサンチアゴ・ベルナベウで白い巨人相手に0-2。ホームでの黒星から逆転でベスト8進出を決めた。当時レアルのトップ下10番はデンマークの英雄。エリクソン少年も憧れたミハエル・ラウドルップ:Michael Laudrup【1964年6月15日生】だったから母国のクラブと対戦とあってメディアにも結構取り上げられた。


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£850,000(100万ユーロ)でエリクソンと契約したのはアヤックス・アムステルダム。健全な成長を促す為に、少年期においては家族との生活を優先するのがクラブの理念。本来この年代は、アムステルダム近郊までにスカウト圏内を制限している。その原石の魅力に、スカンジナビアを担当していたヨン・スティーン・オルセン:John Steen Olsen【1943年1月4日】も、動かずにはいられなかったのだろう。16歳の少年は2008年からの2年の歳月をヨシップ・フルカチ:Josip Hrkacファミリーの一員としてアムステルダム近郊アルメール・バイテンで過ごした。オランダ流の生活と文化を学んだ彼はオランダ語習得も驚くほど早く周囲を驚かせている。


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