トマネ:Tomané【1992年10月23日】は2020年からサムスンスポルに。ヴィトーリア·ギマランイスのユースアカデミーから2010年トップチーム昇格。ポルトガルU-21代表での初出場は2012年。トンデラでは2018-19シーズンに12得点を決め最終節で一部残留に貢献。
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そしてあのレジェンド:怒れる獅子心王リカルド·サ·ピント:Ricardo Sá Pinto【1972年10月10日生】が指揮を執る。現役時代はスポルティングCPやレアル·ソシエダで活躍したストライカー。スポルティングのエンブレムは緑地に黄色の獅子。このクラブのサポーターからはリカルド·コラソン·デ·レオンの名で支持されたが、勿論元祖は前回紹介したとおりキプロスを占領したイングランド王“Richard the Lionheart”。ワールド杯欧州予選2001年6月6日のキプロス戦(6-0勝利)が代表での最後の試合となったサ·ピント。この写真はジョルジェ氏他界から三日後の25日に撮影しに感慨もひとしお。
ポルトガルA代表では45試合9得点。ピッチの外でも武勇伝に事欠かないが、やはりあの日の出来事が印象に残る。
’86年のワールド杯メキシコ大会を最後に、世界と欧州のメジャー大会で四連続敗退のポルトガルが十年ぶりの復活。黄金世代の躍進で’96年のユーロでは八強に進出した。然しワールド杯フランス大会予選では大苦戦。
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1997年3月26日、サ・ピントは北アイルランドの招集メンバーから外される。理由はプライベートと試合で重なる規律違反。選外の知らせを聞くと激高しリスボンで代表チームがの練習中に突如現れるや否や、行成りジョルジェ監督の顔にまず二発のパンチ、更に立ち上がろうとするところへ二、三回の蹴りを入れる暴挙。現役時代の天龍源一郎:Genichiro Tenryu【1950年2月2日生】氏はサッカーボールキックをプロレスの試合で披露していたが、拳は兎も角本職の蹴りはどれ程の威力なのか。結果クラブ及び代表での出場を一年間禁止されるペナルティが下される。
因みにこのアウェーでの北アイルランド戦は0ー0のドロー。もしポルトガルが勝利していればウクライナと順位は入れ替わりプレーオフでクロアチアと対戦していた。
’98年6月5日=26年前の今日、成田空港に到着したカズは金髪に染めていた。スイス·ニヨンでの選外通告。 この時ばかりは普段温厚なカズも怒り、戦友井原は泣いた。『誇りと魂を置いてきた』キングはJFL鈴鹿への復帰を決断しており飽く迄現役に拘る。[第133話了]
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⏹️写真/テキスト:横澤悦孝 ⏹️モデル:田中梨瑚