もうこれ以上、サッカーは進化しない
何度もそう思った。戦術的にも、選手個々の能力的にもこの競技の開発・研究は出し尽くされた感があったからだ。
筆者が初めてサッカーの国際大会をリアルタイムで、且つ大会を通して観たのは1994年のアメリカW杯からだが、「これ以上の進化はない」と思ったのは1度や2度ではなかった。
それでもこのスポーツの進化は止まらず、時代の中で最強チームが現れ、その最強だったチームにして、「戦術的に最先端を行っている」と評価されながら、いつのまにか、「古臭い」と廃れていく。その頻度は増し、“ピーク”や“サイクル”という周期の単位はどんどん短くなっている気がする。
これだけサッカーが進化していく理由は、この競技特有の「自由」と「曖昧さ」ゆえだろうと感じる。
ただ、戦術的な発展の経過を辿れば、それは攻撃の発展が、それを防ぐための守備力の発展を呼び、それを凌駕するための攻撃力の開発に繋がっている。
攻撃的発展の象徴=オランダのトータル・フットボール
ラグビーのようにどんなチームも同じフォーメーションでプレーしなければいけなかった時代は、同じ戦略の下でプレーすれば個々の能力の差がそのまま試合結果に反映された。南米が強かったはずだ。
しかし、それを「“小国”が“大国”を喰うため」に考えられた戦術が、1974年のW杯で披露されたオランダの“トータルフットボール”だった。このサッカーは21世紀に映像を見返しても、「古い」とは思わない。
前線から最後尾までを30m間隔でコンパクトにした布陣の中で、流動的にプレーする。攻撃面での“3人目の動き”があり、守備面の“プレッシング”の原型などがある。どれも連動しなければできない戦術の類なので、現代サッカーはここから派生されたモノであるのも納得させられる戦術だ。
しかし、監督=リヌス・ミケルス、選手=ヨハン・クライフを主導に完成させたトータル・フットボールのオランダは、1974年のW杯で準優勝に終わった。
あまりに攻撃的過ぎたのかもしれない。頻繁なポジションチェンジによるパスワークは華麗で、相手を混乱に陥らせるのだが、相手ボールになってからのプレッシングを交わされると、自分達も混乱しているようにも見えた。
それだけ攻撃面から構築していった戦術だったのだ。
守備的発展の象徴=イタリアのゾーンプレス
そんなトータル・フットボールを幼少期に見てから選手になったオランダの“新世代”が、1988年の欧州選手権(現・EURO)で初優勝を成し遂げる。当然ながらクライフは引退していたが、監督にはミケルスが復帰していた。
トータル・フットボールで鳴らしたミケルスも、オランダの名門・アヤックスやオランダ代表を経て、スペインのバルセロナやドイツのケルンで指揮を執り、尖り過ぎていた戦術に他国のエッセンスが入って、より大陸的になって来た。
そして、1988年当時のオランダ代表にはルート・フリットやフランク・ライカールト、マルコ・ファン・バステンといった大型で将来有望な若手が育っていた。
選手個々で見ても他の強豪国と遜色ない選手が揃った上で、ミケルスのトータル・フットボールが柔軟性を持って融合した化学反応だった。