Foot ball Drunker 〔136〕visiting 『Bozsik József Stadion』ブダペスト/ ハンガリー

六月でこの暑さ 真夏はどうなるのか

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気象庁によるとこの夏も厳しい猛暑が待ち構えているらしい。地球温暖化は年々深刻化、世界規模で気温が上昇しており、欧州を巡りながら「この国こんなに暑かったか?」と例年呟くように。愛・地球博が開催されたのは2005年。筆者のNGO活動も当時のエコブームに傾いていたのがこの頃。下写真は豪州ケアンズの美術館て企画実施したワークショップ。


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ワーキングホリデーの日本人がボランティアで参加してオージーキッズ達と交流。このご縁で地元のサッカーチームの練習をしたり、ワールド杯クロアチア戦をカジノでTV観戦したりと盛り沢山の滞在となった。ちなみに初戦の豪州戦は渡豪前に浦安の自宅TVの前で頭を抱えたが間もなくドイツ国内各都市は18年ぶりの熱狂に包まれる。


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カバー写真は2014年3月22日ブダペスト·ホンヴェドFC―カポシュヴァール·ラーコーチFC戦のプログラム。表紙には集合写真とボジク·ヨージェフ:Bozsik József【1925年11月28日生-1978年5月31日】、そしてフェレンツ·プスカシュ:Ferenc Puskás【1927年4月1日生-2006年11月17日没、レジェンド二人のモノクロ写真が並んでいる。1909年の創設から1949年まではキシュペスティを名乗っていたが、その後ホンヴェドに変わり現在に至る。マッチデープログラムの題名はCsak a Kispest!マジャール語でキシュペストだけ!CSAKは英語のONLY。最後にホンヴェドの試合を観たのは19年の八月。2021年夏に完成する新スタジアムの起工に伴い、この日から二年間は仮住まいでゲーム。


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第136話はボジク·ヨージェフの名を冠するブダペスト·ホンヴェドFCのホームスタジアム。プスカシュ通りのスタジアム入口には次節ハラダス戦の告知。撮影したのはクラブ創立25周年の節目となる2016年10月。市南部に位置したホンヴェドの本拠地キシュペスト。プスカシュもこの街で生まれ育った。1954年ワールドカップ決勝、プスカシュが先制ゴールを決め西ドイツと激闘(スコアは3-2)を繰り広げたハンガリー代表は、協会が代表強化のために国内クラブの主力を陸軍クラブに集めた成果。ちょっとズルいが現在のホンヴェドの前身。
17年4月1日の夜は、ホンヴェドとフェロンツヴァロシュのダービーを取材、2位と4位の対決は前回の借りを返したホンヴェドが優勝戦線に踏みとどまる。

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1万人に満たない収容人員ではあるが、強敵を迎えての重要な一戦とあって空席は見当たらず熱気がピッチまで伝わる。
結局大混戦を制し24年ぶりの国内王者に輝いたのは赤黒縦縞の軍団。数日後見掛けたのは次回ホーム=4月15日パクシュSE戦の告知。

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5月14日、とても春とは思えない陽気のボジク·ヨージェフ·スタディオンのサブグラウンドを取材。女子一部リーグの試合はまっ昼間の開催。五十年代綺羅星が如し時代には及ばなくとも代表に其れなりの人材を送り出してはいるこのクラブ、その強者が並ぶ中で最も目に焼き付いているのが、焼き付くようないの陽射しを浴びるブチミラー·アドリエヌ·エヴァ:Buchmüller Adrienn Éva:【2000年11月20日生】。