三月の大地震と五月のカップ戦制覇 十一年の十一日
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自宅にネットもTVもない生活だから、NHKが「南海トラフ『巨大地震注意』」のテロップを五日間も出し続けていたと昨日知った。感染症拡大以外で渡欧を控えたのは2011年。・・この年支援ボランティアで訪問した宮城県気仙沼市内の道中撮影した写真。
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11日当日は徒歩10分もかからない息子の小学校に足を運んでから、家内を迎えに浦安から千葉市駅前まで湾岸線車を走らせた。信号が機能していない交差点に猛スピ-ドでツっ込んでくる愚か者がいるから恐る恐る一次停止。およそ五時間かけての到着。帰りは疲れて途中ファミレスで休憩してから朝方生還。これだけ時間かければ東京からのフライトでも欧州に着いているはず。同年10月トルコ東部でも大地震が起きている。
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この年にサッカ-の試合で記憶に残る愚か者も。韓国の全州ワ-ルド杯スタジアムでのセレッソ大阪戦。全北現代サポーター男性(30歳)が「日本の大地震をお祝います」と横断幕を掲げる“痛い行為”痛い行為には唖然とするしかない。Kリーグ、全北現代がそれぞれ日本のリーグとクラブに謝罪しており、この時ばかりは多くの韓国サッカーファンも激怒。同男性は十年間、同スタジアム出入り禁止の処分が下されている。
新市街の北東郊外ベシクタシュ地区にある本拠地は黒鷲の巣窟と敵サポーターが恐れたイニョニュ·スタジアム。スタンド最上段から眺める宮殿と海峡の風景は、欧州を超えて世界でも屈指の美しさで感動した。
2013年に取り壊されたイニョニュは変わり新たな歴史を刻むベシクタシュパークが第163話。完成した2016年の12月には試合終了後にスタジアムの外で自動車爆弾が爆発する騒動もこの国らしいと言えなくもない。
本年は三年ぶり通算11度目の[テュルキエ·クパス]を掲げたベシクタシュ。獲得数二桁はガラタサライと二チームだけ。
スタジアム通路壁面には戴冠時の写真が飾られていたが自身の撮影は情けないほど下手くそ過ぎ。人物の姿を画面に入れなければその大きさが伝わらない。
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イニョニュ時代から、黒白縦縞のウェアでピッチを駆け抜けるポルトガル人フットボーラーの印象が強いベシクタシュ。
。リカルド·クアレスマが2010年に加入以降、次々と加入する中、記憶の残るのはウーゴ・アルメイダ:Hugo Almeida【1984年5月23日生】。2011年5月11日はイスタンブールBBとのPK戦を制したカップウィナーの一員。2014年にチェゼーナに移籍後はロシア、ドイツ、ギリシャと渡り歩き17年夏にクロアチアのハイドゥク·スプリトへ。写真は2017年12月ザグレブで撮影した。彼にボールが入る度、まわりの選手から「ウーゴ!」「ウーゴ!」の声が響き渡る。ロスタイムにはアシストを記録、彼の巨躯にフィットしたハイデュクのアウェーユニ。やはりウーゴには黒が良く似合う。
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現在は83番ジェドソン·フェルナンデス:Gedson Fernandes【1999年1月9日生】が中盤に欠かせない存在。昨日(22日)のUEFAヨーロッパリーグ予選、敵地でルガノと3-3のドロー。2得点は何れもトップ下で躍動したジェドソンがネットを揺らしている。ガボンの首都から189マイル西に位置する小さな離島サントメ·プリンシペの出身。ライバルのスポルティングPCも目をつけていたが、ベンフィカは250ユーロとボール一袋で十歳のジェドソン少年を獲得したのだとか。一袋に何個ボールが入っていたのか気になるのは自分だけか。
ベンフィカと正式に契約したのは2009年。この日の二得点目は新加入のラファ:Rafa【1993年5月17日】との連携。ポルトガルA代表でのキャップ数は25。元ベンフィカコンビによる左からの崩しは今季黒鷲の目玉となる。