89〗Fortuna Arena / プラハ


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一方FIFAワールド杯出場を逃し再出発のはずが、9月10日ロシアとの親善試合で5-1の大敗。カレル·ヤロリーム:Karel・Jarolím【1956年8月23日生】監督が電撃解任されると、ナショナルチームは御祓を終えたシルハヴィに委ねられた。いきなりの本番が新設されたUEFAネーションズリーグ、新体制初戦はスロバキアに2-1の勝利。キーウでのアウェー戦は、敗れこそしたもののシュート数、ポゼッションもほぼ互角と悲観する内容ではない。ワルシャワでAリーグに組み込またポーランドに勝利しており、Bリーグのチェコからすれば確かに格上ではあるのだが、驚くほどではない。実力差は紙一重どころかオカモトの極薄●●●●●一重の実力差。ちなみにこの●●●●●はもちろん医療用手袋である。 

スロバキア代表とは11月19日にエデン(当時)アリーナで再戦。カバ-写真の撮影許可証はこの試合のもの。スラヴィアでは同僚だったストッフとソウチェクの絡みには注目した。
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現在の代表でイチオシなのが一枚の写真に収まっているこの二人。ミハル·サディーレク:Michal Sadilek【1999年5月31日生】とヴァーツラフ·チェルニー:Vaclav Cerny【1997年10月17日生】は、かつてストッフも袖を通した真っ赤なウェアのFCトゥウェンテ·エンスヘデ。  

チェルニーは十六歳からアヤックスで研鑽を磨き二十一歳でユトレヒトに移籍したから、其なりには知っていた。“チェコのロッベン”の異名はスキンヘッドの見た目だけではない。右サイドでの疾走がトップギアに入ると止めるのは中々に困難。ヴォルフスブルクが獲得して現在はトルコのべシクタシュに。
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同じく十六歳でオランダに渡ったサディーレクの行き先はアイントホーフェン。18年12月のPSV対インテル戦でCLデビュ-を果たした。それが今季は母国に帰還。スラヴィアの中盤を担い、ここまCL四試合(ボデ戦とア-セナル戦はスタメンフル出場)に出てはいるが二敗二分け。今月のホ-ムでのビルバオ戦は自身初のCLでの白星を狙うサディーレク。

シルハヴィは現在、欧州を離れてオマ-ン代表の監督就任も中東の水があわず一年ももたず。シルハヴィの五年間を振り返ると、ユーロ2020でオランダを破ってのベスト8進出は見事。ユーロ2024はプレーオフに回ることなく予選突破だから個人的には100点満点中70点の評価。マイナス30点はUEFAネーションズリーグでの頑張りでプレーオフ進出しながらスウェーデンに敗戦で扉が閉ざされたFIFAワールド杯カタール大会。近年各国の実力差が縮まり、もはやカツオの削り節一重である。ケストルでは二~三年早くシルハヴィが復帰してケストルを横に着けるのが最も現実的な選択だと思うので最後の写真は、スロバキア戦のマッチデープログラムのヤロスラフ·シルハヴィ氏と一献傾けてみた。〖第八十九話了〗


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■写真/テキスト:横澤悦孝 ■モデル:Nicole Cerentin