22〗Stade de la Tuilière / ローザンヌ

欧州のチョコレート三大大国 プラスワン

  
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欧州三大チョコレート大国といわれるのが、フランス·ベルギー·スイスと何れも公用語にフランス語が含まれる三カ国。王室御用達の五文字がつけば威厳と風格を感じずにはいられない。しかしアスペッタ ウナッティモ!これには黙っていられないのがイタリアの愛国者。「なんでうちを、いれんのや!」 と言われれば、確かに"欧州四大チョコレート大国"が妥当な気もする。
ヴィットリオ·エマヌエーレ二世:Vittorio Emanuele II 【1820年3月14日生-1878年1月9日没)が統治したイタリア王国。この時代チョコレートは王室の公事や宴会など宮殿での特別な催しでのみ食される嗜好品だった。サヴォイア家当主が初代イタリア国王に就いたのは1861年。首都は僅か四年の間ではあるがトリノにあった。トリノ中心部から南東50キロの距離にある1883年創業のD.バルベーロ社のチョコレートクッキーはサヴォイアの名を冠するトルタ。これは塩味が効いてい赤ワインとの相性が抜群のお菓子。

当時からチョコレートの街として知られており、産業革命がチョコレートの製造技術も格段に進歩させると、トリノにはマイアーニをはじめ周辺国からチョコレート職人が集まる。ピエール·ポール·カファレル:Pierre Paul Caffarel 【1801年生–1871年没】の『カファレル』、『ヴェンキ:VENCHI』と現在も名の知れたチョコレート工房がこの頃に次々と誕生する。カバ-写真のヴェンキは丸の内のショップで購入した。
新型車タイプ4を発売するにあたり、チョコレートのコンペティションを企画した自動車メーカーのフィアット社。この話題づくりは奏功し、四層構造のチョコレートを発表せれたのは1911年。マイアーニのショーケース内にフィアット社ロゴ入りのチョコレートが並んでいるのを見たことがある。1796年に創業マイアーニが発祥の地はボロ-二ャ。
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上写真はスイス代表のストライカ-、アンディ·ゼキリ:Andi Zeqiri【1999年6月22日生】“トリノの貴婦人”ユヴェントスユース所属ながらこの写真は青いアウェ-·ユニ。フランスのリヨンで撮影した。ローザンヌ出身でもその名前が示すとり、そのルーツはアルバニアにある。両親がコソボ人の為スイスU-21代表からA代表はコソボへと転向すると大きく報道されたはずが、大どんでん返しのスイス代表入りで辛辣なブーイングを浴びせられたこともある。

モントルーの郊外、レマン湖の畔に佇むのはシヨン城。感染症騒動が完全には落ち着いてはいない中でのスイス訪問となった2022年。それでも欧州の観光名所はなかなかの賑わい。同国の老舗チョコレートブランド『カイエ:Cailler』は、大手食品会社のネスレが世界中に広めたブランド。1819年に、フランソワ·ルイ·カイエ:François-Louis Cailler11【1796年6月11日生-1852年4月6日没】が創業したのは湖畔の街ヴヴェイ。実はネスレが本社を構える街として知られている。モントル-からは約七キロ、ローザンヌからでも三十キロ弱の距離に位置する。
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ヴィルヌーヴからモントルー、ローザンヌで途中下車して、ジュネーブ空港へ移動するルート。百キロ程度の距離を約一時間半で移動したのか。スイス国鉄の料金三十七スイスフランが切符に印字されている。日本円に換算すると五千円を超えるから、あらためてスイスの物価の高さに嘆きながら「ここはスイス(溜息)」と己を納得させる。
参考までにほぼ同距離同所要時間の東京~熱海間は、快速アクティ利用で二千円もかからない。
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