21〗Strawberry Arena / ソルナ

一日前にはアヤックスがアムステルダムでオリンピックリヨンに4-1のスコアで完勝していた。一週間後の再戦はオールド·トラフォード。1-1のドローで赤い悪魔が決勝へと順当に進出。敵地でアヤックスは先制しながら3-1と敗北を味わう。それでも二試合合計3-4でファイナルへと駒を進めた。初戦に続いてのカスパー·ドルベリ:Kasper Dolberg【1997年10月6日】の二試合連弾に救われた格好。アヤックスのスカンジナビア担当として多くの原石を見出したデンマーク人ジョン·スティーン·オルセン:John Steen Olsen【1943年1月4日生】が母国のシルケボ-から連れてきた十七歳の少年はこの老伯楽のキャリアを締め括る逸材だった。 
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あの日あの時は■2017年5月24日UEFAヨーロッパリーグ決勝ファイナル:マンチェスター·ユナイテッド対アヤックス·アムステルダム 両クラブとのサポーター。中立の地元フットボー。ルファンも含めその数46,961人。
この試合の見所は少年時代からアヤックスで過ごしたダレイ·ブリント:Daley Blind【1990年3月9日生】が’14年に巣立って以来、初となる古巣との対戦。三年ぶりに会う後輩達の前に立ちはだかる。但しブリントがアヤックスを敵に回したのはこの試合が初めてではない。FCフローニンゲンへと期限付き移籍していた2010年3月にエールディビジで手合わせならぬ足合わせを経験している。カバ-写真のマッチデ-プログラムはこの試合を観戦した際入手したもの。表紙はこ10-11シ-ズンデビュ-したばかりの初々しいクリティアン·エリクセン:Christian Eriksen 【1992年2月14日生】。彼もまたオルセンによってアヤックスへと導かれた穎才。
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マンチェスター·ユナイテッドもエリクソンに目をつけていたクラブのひとつで、十三年後に獲得を成し遂げる。惜しむらくはこのソルナの大舞台に同国が生み出した最高のフットボーラーの姿がなかったこと。この一言に尽きる。ズラタン·イブラヒモヴィッチ:Zlatan Ibrahimović【1981年10月3日生】は準々決勝のアンデルレヒト戦で膝前十字靭帯を損傷してしまい戦線を離脱していた。マルメ·ユースに所属していた十六歳の頃からズラタンを追いかけていたのがオルセン。アヤックスの役員たちをキャンプ地のスペインムルシア州のラ·マンガまで呼び出し契約書にサインをさせたのが十九歳の夏。試合は2-0でマンチェスター·ユナイテッドが優勝。試合後にはダフィ·クラーセン:Davy Klaassen【1993年2月11日生】とユニフォームを交換していたダレイ。オランダ代表のベンチでも仲良さそうに笑顔が並んでいた。
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知らないと白い目で見られるのが各国のルールとマナー

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2024年の訪日外国人旅行者数と消費額は過去最高を更新しているが、急激な回復はオーバーツーリズムや観光産業における人手不足など、新たな課題が噴出するのは当たり前。航空会社は増便する一方、しかし滑走路もターンテーブルも審査官をすぐに増やせるわけではないから、入国及び税関審査から荷物の受け取りまで長時間待たされる外国人観光客を見ていると気の毒になる。テレビの画面では笑顔のインタビュー映像のみが流されているが、欧州各都市で来日経験のある方に訪日の感想を尋ねると、眉間に皺を寄せる方も。
最後の写真はアヤックスのマッチデープログラム。来日する観光客が増えると彼らのマナーも問題に。この2008年のマッチデープログラムでは、スタジアム内が禁煙になったことが書かれている。マリファナを認めている国の首都アムステルダムなのに市内公共の場での飲酒は罰金の対象だった。どれ程の日本人観光客が知っていただろう。この規制が解除されるのは四年後のこと。
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2008年12月のNACブレダ戦を観戦した時のもの。この頃はA4サイズなのでASポスターはラスムス·リンドグレン:Rasmus Lindgren【1984年11月29日生】の名前が記されている。彼も03年にオルセンがスウェーデンから連れてきたミッドフィルダー。計七シーズンで百九十試合に出場したFCグローニンゲン時代にアヤックスと対戦した試合のほうが記憶に残っている。このNACブレダ戦が途中出場したブリント·ジュニアのアレナデビュー戦。試合後ピッチを一周しファンに挨拶。スタンドから暖かい声援と拍手を浴びていた。
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