94〗Štadión pod Dubňom / ジリナ


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十世紀マジャール人が侵略し北ハンガリ-と呼ばれた頃からスラブ系民族の暮らしをハンガリ-文化が色濃く染めていったスロバキア。第一次大戦による帝国崩壊までは、千年近くハンガリー王国支配下にあったから、民族意識や言語の使用を制限され、文化の発展か遅れたのも否めない。第二次大戦中は、名前だけスロバキア共和国を名乗るも実質はナチス·ドイツの傀儡国。この国でもユダヤ人が迫害されたのは言うまでもない。
戦後は、チェコスロバキアとなりソビエト連邦の衛生国。共産党による一党独裁体制が敷かれると、言論統制をはじめ自由な政治活動は制限された。ヤノシーク伝説はスロバキア人は愛国心を高め、存亡の危機に瀕するたびに、国民を奮い立たせた。具体的には1848年リュドヴィート·シュトゥール:Ľudovít Štúr【1815年10月28日生-1856年1月12日没】を中心とした義勇兵によるコシツェやプレショフの占拠。
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スロバキア蔑視でノヴォトニー失脚 時代は人間の顔をした社会主義へ

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1944年夏から秋にかけての反ナチス派によるスロバキア国民蜂起、そしてブラハの春は1968年8月のワルシャワ条約機構軍による占領で幕を閉じるが、発端となったのは’57年アントニーン·ノヴォトニー:Antonín Novotný【1904年12月10日生-1975年1月28日没】のチェコスロバキア大統領就任。偏った共産主義者で'60年には共和国を社会主義共和国に改称してしまう。低迷する経済への不満と言論の自由を求め民主化運動に火がつきノヴォトニーは辞任。後任の第一書記長アレクサンデル·ドゥプチェク:Alexander Dubček【1921年11月27日生-1992年11月7日没】が実施した検閲の廃止、言論の及び集会の自由などの自由化政策がソ連の逆鱗に触れてしまい、ソ連、ポ-ランド、ブルガリア、ハンガリーの軍隊に占領されてしまう流れ。ドゥプチェクは、トレンチ-ン地方の小さな村ウフロヴェツで生まれたスロバキア人。偶然にもハンガリー王国からの独立を掲げ武装蜂起したシュトゥールもこの村だからスロバキアの歴史を語る上で『ONE PIECE』のフ-シャ村同様に侮れない。簡略した文章にするとまるでソ連崇拝ベッタリのように誤解されてしまうが、ソ連陸軍をチェコスロバキア国内に配備する要求には一貫して拒否したノヴォトニ-。失脚に追い込まれた理由は彼のスロバキア蔑視。プラハ中央集権を進めスロバキアの自治を制限し猛烈な反感を買った。
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ヤノシークの伝説はその後チェコ、ポーランド、モラヴィア(現在のチェコ東部)、の近隣諸国にまで浸透しているから興味深い。

ONE PIECEは真打ち登場 圧政に苦しむ市民を奮い立たせる革命軍

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そして物語も佳境に入り、次々と過去が明かされ伏線回収に余念がなく、読者が感嘆の声をあげる『ONE PIECE』。ここにきて若き海兵時代に赤ん坊のシャンクスを救った主人公の父ドラゴンの出番が遂に回ってきた。ここまで登場シ-ンを極力抑えてきた最重要人物。例えるならば後半途中出場でピッチに入ってきたエ-ス·ストライカ-。世界政府に敵対する革命軍総司令官。革命軍の活躍がこれまで伏せられる中で披露され喝采を浴びたのが第904話。この回に初登場したのがONE PIECEの膨大なるキャラクタ-の中で最もスロバキア受けする(もしくは拒否される)と思われる人物。東軍軍隊長のベロ·ベティ。テレビアニメでは2019年4月放映。露出度の高い真っ赤なコスチュ-ムも衝撃的だが注目すべきはその能力。「話術で勇気と戦う力を与る」能力。桃ひげ海賊団の襲撃から他の軍隊長三人と共に街を救い、懸賞金の権利を住民に託して立ち去る。
スロバキア人の文化的特徴でもある冷笑主義=シニシズム。これ程長く外国人に利用され、虐げられてきた歴史も珍しい。権力者に対して懐疑的になる習慣も根付いてしまっている。
次回はドイツレバ-ク-ゼンなのだが、引き続きONE PIECEを知らない方には面白くも何ともない内容ではあるが勘弁していただきたい〖第九十四話了〗
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