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オーストリア代表が最初に国際試合を戦ったのは1902年のハンガリー代表戦とされている。当時はオーストリア=ハンガリー帝国。ウィーンとブダペストの両都市選抜チームによる親善試合だった。試合は5-0で勝利しておりブダペスト市民は嘆いただろうがこの頃のオーストリアは欧州屈指の強豪国。1934年のワールドカップイタリア大会は、優勝したホスト国に準決勝で敗れたものの38年のフランス大会でイタリアの連覇を阻む最有力候補とされていた。ところがナチス·ドイツに併合され出場権を奪われ選手達はドイツ代表入りを強制されているから、いかに優秀な選手達が揃っていたかを証明している。
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あの日あの時は■2024年4月5日オーストリアブンデスリ-ガ二部 22節ファースト·ヴィエナFC対SKNザンクト·ペルテン。現在はアウストリアウィ-ン在籍のケルヴィン·ボアテング0:Kelvin Boateng【2000年3月24日生】が前半だけで四得点の大爆発。双方あわせて十得点のゲ-ムは、なかなかお目にはかかれない。
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二部リーグで奮闘する元A代表ストライカー
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現所属で注目は2020年9月のUEFAネーションズリーグのルーマニア戦で代表デビューを果たしたクリストフ·モンシャイン:Christoph Monschein【1992年10月22日生】。そのプレ-を過去に二度ピッチサイドで目の当たりにしているが、何れもウィ-ンの聖地エルンスト·ハッペル。上の写真は2017年4月のÖFBカップ準々決勝。FCアドミラ·ヴァッカー·メードリングの背番号十四は試合前のアップ姿から気迫が漲る。十四分に左足で貴重な追加点を決め、その後のを一点反撃を一点に抑え、四強進出のジャイアントキリング。この試合の活躍もあってシ-ズン終了後にはアウストリアへと移籍。
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これまでトップリ-グで二百五試合出場しており、そのキャリアの半分以上は首都の強豪で築いたもの。下の写真左端は同年十二月のAEKアテネ戦。ベンチスタ-トで0-0の膠着状態を打破すべく残り十三分切り札として投入されるがこの日は不発。ギリシャでの対戦時に得点すると、クロアチアのリエカ戦、更にサンシ-ロでのミラン戦での珍ゴ-ルもを記録しており、欧州の舞台に強いストライカ-として記憶に残る。17年には春と冬二度訪問したウィ-ン。短時間で欧州全域を広く動き回る筆者のスタイルだと、ど真ん中にある音楽の都は、滞在回数も自ずと増える。おそらくパリやブダペストを抜いて、最も多く立ち寄った都市ではなかろうか。
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さて移民や難民に対して排他的な主張を掲げ、ウクライナへの支援にも反対しロシア寄りの立場を示す自由党はこのところ選挙の度に得票率を伸ばし前述のとおり第一党に。しかし国民党との連立交渉が破綻し他の政党からも拒否されている。結果 中道右派の国民党と中道左派の社会民主党中道·リベラルのNEOSによる三党連立政権が誕生している。
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ドイツ語を話せる子供のほうが少ないおそるべき現実
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さて、今春のウィーン市議会選では、与党の社会民主党の勝利。自由党も得票率は伸ばしたものの約半数程度。終戦から現在まで続く社民党の牙城は揺るがず。欧州全体を見渡しても屈指のインフラ機能を保持するトップクラスの国際都市。ホーエ·ヴァルテのあるデープリングからドナウ川を挟んで四キロ強離れた所に巨大なムスクを見掛けた。サウジアラビア国王の資金援助で七十年代に完成したイスラム教センターがあるのは葛飾区と友好関係にある21区にある。ウィーンで最大の課題は押し寄せる難民移民の子供達。既にイスラム系の生徒のほうがカトリック系生徒の数より多くなっている。先進国共通の難題少子化も影響しているのは言うまでもない。ドイツ語が読めない、話せない生徒が増えると学力の低下も著しい。移民が多い地域によってはドイツ語が理解できない子供対象の授業にせざるを得ない。その結果公立はあきらめて、私立に通わせるオーストリア人の家庭が増えているのが現状。
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