37〗Stadion FK Viktoria Žižkov』プラハ

テレビ塔から見下ろせばスタジアム

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プラハでジジュコフと検索すれば真っ先に出てくるのがテレビ塔。プラハ城や旧市街など世界遺産に登録された街並に即わない異質な建築物。着工は社会主義時代の1985年。塔の高さは二百十六メートル、展望台からの眺めは絶景。ホテルにレストランとカフェバーもあるから若者達のデートスポットとしての人気はあるらしい。’06年からはジジュコフの市制施行125周年を記念して毎晩ライトアップが開始されている。1881年に市として認めたのは、あの皇帝フランツ·ヨーゼフ1世:Franz Joseph I.【1830年8月18日生-1916年11月21日没】。それにしても1百十なら兎も角この中途半端に思える百二十五の数字。中途半端と書きながら、頭を掠めたのは都の西北早稲田大学。創立者大隈重信:Shigenobu Ōkuma【1838年3月11日生-1922年1月10日没】元首相の唱えた『人生125歳説』。チェコにも似たような偉人がいたのだろうか。
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第37話はプラハのスタデイオン·ヴィクトリア·ジジュコフ。あの日あと時は主催試合に一度だけ足を運んだ■2018年4月8日。チェコ二部リーグ第21節FKヴィクトリア·ジジュコフ対MFKフリーデク·ミーステク。 順位は11位と14位の対戦。黒のユニフォームはモラヴィア·スレスコ州にある小都市のクラブ。エントランスではビアカップを片手のお二人。その横に表示されているキックオフ時間は10:15の文字が並ぶ。この日だけでなく十七節からの五試合すべてが同時刻。これはひょっとしてプレス向けの配慮なのか。この日だけでプラハ市内三試合を取材できるから居酒屋でのはしご酒ならぬ梯子蹴球。


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フリーデク·ミーステクとの試合から遡ること十二日。このシーズンから新設されたU20エリ-トリーグ·グループ1の公式戦。チェコ代表はユトレヒト郊外ザイストにあるKNVBキャンパスで若きオランイェとの最終戦に1-3で勝利。欧州上位八か国のユースリーグで優勝国のドイツ、二位のイングランドに次いで三位でフィニッシュしたのだから褒め称えるべき(四位はイタリア)。U20チェコ代表のエースストライカーはヤン·クフタ:Jan Kuchta【1997年1月8日生】。ドイツ·ポーランドの国境に近いリベレツ出身。中学年代はスパルタ·プラハ、高校年代はスラヴィア·プラハのユースで研鑽に励み’15年11月ボヘミアンズ戦でトップリーグデビューした時は弱冠十八歳。
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このシーズンはスラヴィアからボヘミアンズへのレンタルが終了すると出番を求めて二部のジジュコフへ。初戦こそ不発ながら三月九日ヴィートコヴィツェ戦では2G1Aの大活躍。十八日のフラデツ·クラーロヴェー戦でもPKのリバウンドを決めて先制、クフタ加入後三連勝で好調を維持しオランダとの一戦に臨んだ。結果は六分に先制、九分後にも追加点とクラブからの勢いは止まらない。二部の下位チ-ム同士の対戦でもまず彼のプレ-には注目しておきたい。

次に期待しているのが、背番号9の攻撃的ミッドフィルダー、マーセル·チェルマク:Marcel Cermak【1998年11月25日生】。’15年のU17欧州選手権には予選本選あわせて四試合に出場している。彼もスラヴィアに所属しており、このシ-ズンはジジュコフに貸し出されていた。

そして三人目はザグレブ出身のクロアチア人ストライカー、背番号十のペタル·ムサ:Petar Musa【1998年3月4日生】。NKザグレブのトップチームで’16年プロデビューを果たすと’17年SKスラヴィア·プラハが獲得に乗り出す。そして加入直後に彼もレンタル。つまりスラヴィアが保有する同年代の三人をお目当てにピッチサイドに腰をおろした。


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フリーデク·ミーステク戦はキックオフから八分、早い時間にホ-ムチ-ムが先制点を奪いで試合の趨勢を手繰り寄せたと思われたのだが。
一点リードの状況で先に動いたのは何故かジジュコフのベンチ。チェルマクを一枚目の手札としてくれたから、気になる采配ではあるが個人的には満足。三分後には前節ゴールを決めているムサが投入されたからピッチ上にスラヴィアトリオが揃い踏み。予習のかいがあったというもの。
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