108〗Stadion Bilino Polje / ゼニツァ

14分と41分にラデ·クルニッチ:Rade Kurunic【1993年10月7日生】の連続弾にスタジアムは大歓声に包まれる。二週間前にUEFAチャンピオンズリーグ八強入りを決めたACミランの三十三番はトッテナム相手に中盤低い位置でプレー。それが背番号八を背負えばフィニッシャーへと変貌するユ-ティリティ。クルニッチはドリナ川の東岸フォーチャで生まれ育った。そのドリナ川の支流であり現在は国立公園を流れるのがスティエスカ川。この周辺で二次大戦中ヨシップ·ブロズ·チトー:Josip Broz Tito【1892年5月7日生-1980年5月4日没】率いるパルチザンがドイツ·イタリア軍の包囲される絶体絶命の危機。それでも多くの犠牲者を出しながら包囲網を突破して壊滅を免れると、そこから反撃に転じイタリアを降伏させる。歴史のタ-ニングポイントとなった場所。
◇◇◇◇◇


◆◆◆◆◆

スルプスカ共和国のフォーチャ出身のクルニッチがセルビア国籍を持っていても珍しくはないが、アミル·ハジアフメトヴィッチ:Amir Hadziahmetovic【1997年3月8日生】は、デンマークのボーンホルム島の東海岸ネクソ出身。小学生年代までデンマ-ク、中学生年代からボスニアヘルツェゴビナのFKジェリェズニチャル·サラエヴォのユースで育成されトップデビュー。
’16年にコンヤスポル’23年にはベシクタシュ、そして昨季はチャイクル·リゼスポルに貸し出されており、トルコでは二百三十一試合トップリーグに出場している。現在はハルに貸し出されてレギュラーに定着しているがスュペル·リグよりも全体の平均レベルならば英チャンピオンシップの方が上。ウェールズ戦に招集されるのは間違いない。そしてこのアイルランド戦でクルニッチ、ハジアフメトヴィッチと中盤なトリオを構成した新鋭ベンヤミン·タヒロヴィッチBenjamin Tahirović【2003年3月3日生】はストックホルム近郊のスポンガ出身。母国を離れASロ-マのユースを経てセリエAデビュー。アヤックスから現所属のブレンビ-へと移籍して早一年。両親の祖国で暮らしたことはなくても代表はズマイェヴィを選択している。中盤でもう一人気になったのは、アイスランド戦で途中出場したゴイコ·ツィミロット:Gojko Cimirot【1992年12月19日生】。
◇◇◇◇◇◇


◆◆◆◆◆◆

クロアチアのドゥブロヴニクから二十四キロしか離れていないスルプスカ共和国最南端のトレビニェ出身。’18年にギリシャのPAOKテッサロニキからスタンダール·リエ-ジュへ。ベルギーで五年間、その後サウジアラビアのアル·フェイハで二年間プレーして今季は古巣のFKサラエヴォに帰還してプレー。三十三歳を迎え残りのキャリアは母国リ-グ発展への貢献にあてる。代表でのラストマッチは一昨年プレーオフのウクライナ戦だった。今更ではあるが、プレーオフで対戦する相手国がよりによってウクライナ代表になるとは。現在のウクライナ国民の心情を身に染みて誰よりも同情しているのは紛争で都市包囲を経験したボスニア·ヘルツェゴヴィナの民である事は想像に難くない。


◆◆◆◆◆

この原稿をうちながら、あらためて書棚から一冊の名著を取りだし読み出したら止まらず寝不足に。グラスに注ぐのは欧州選手権公式スポンサー、ハジアフメトヴィッチの故郷、タヒロヴィッチがプレーするデンマークのカールスバーグ。十万人の死者を出した二次大戦以来、欧州最悪の残虐行為とされるのがサラエボ包囲。近代では最も長い約四年に及ぶ包囲で家族と隔離されたイビチャ·オシム:Ivica Osim【1941年5月6日生-2022年5月1日没】元日本代表の苦悩の日々が綴られている。
◇◇◇◇◇


◆◆◆◆◆