イズミルとスミルニ 二つの名前を持つ都市
◇◇◇◇◇
旅行代理店に勤務していたのは三十五年前。それでもエーゲ海に囲まれたトルコとギリシャ両国を巡る周遊ツアーが人気商品であることは今も変わりはないだろう。下写真はアテネからイスタンブールに向かうターキッシュエアラインの往復チケット。移動距離は片道五百六十キロだから羽田からなら伊丹より遠く、関空よりは近いのか。
◇◇◇◇◇
◆◆◆◆◆
フットボールに限らすスポーツで追いつ追われつ逆転再逆転の展開で用いられる『シーソーゲーム』なる言葉。現在トルコ共和国が国土とするアナトリア半島の面積は広大でイスタンブールから東の国境までは陸路だと千八百キロは超える。トルコ第三の都市イズミルはフェリーで海上を最短で移動すればアテネまではら四百キロ。このイズミルはトルコ語の呼び方、ギリシャ語ならばスミルナとなるが、まさに両国の支配が交互に揺れ動くのはシーソーそのもの。
紀元前千年頃には既にアイオリス人が暮らしており、半島に点在する各都市が同盟を組んだのが紀元前八百年頃。このスミルニを征服したのはコロポンのイオニア人で彼らが同盟に加えたとされるがどちらにしろ古代ギリシャ人。イタリア半島の北方から南下したラテン人がギリシャの影響を受けてローマを築き、やがて地中海世界の全域を支配する巨大帝国となる。四世紀には東西分裂(西ローマ帝国滅亡は476年)した後も、帝政がスミルニに繁栄をもたらした。
◇◇◇◇◇
エルサレムに向けて十字軍が進む
◇◇◇◇◇
ところが現在のイラン、イラク、トルクメニスタン一帯を支配したトルコ系のセルジューク朝が、1071年の“マラズギルトの戦い”で東ローマを捻じ伏せる。ここで史上初、アナトリア半島はイスラムの支配に。これに対してローマ教皇即ち西欧のキリスト教勢力が聖地エルサレムの解放を叫び、その先頭に立ったのは言わずと知れた十字軍。セルジューク領へと遠征し成し遂げたのは十二世紀目前。また十三世紀にはモンゴル帝国による中央アジアから侵攻もあってセルジュークは衰退。
◇◇◇◇◇
◆◆◆◆◆
すると今度は世紀末、辺境で発起したオスマン集団が、歳月を重ね東ローマを衰亡へと追いやる。長く続いたオスマンの栄光も十七世紀末から近代ヨーロッパ諸国の侵攻、またアラブ諸民族の自立も重なり陰りを見せたのは盛者必衰の理。逆転を狙った第一次世界大戦だったが同盟国側は敗退。後継国家としてムスタファ·ケマル:Mustafa Kemal 【1881年5月19日-1938年11月10日】がトルコ共和国樹立を宣言するというここまでが世界史の授業のお浚い。
◇◇◇◇◇
早口言葉ではなく パイオニアはパニオニオス
◇◇◇◇◇
第15話はパニオニオスGSSのホーム、スタディオ·ネア·スミルニ。アテネ郊外の街“ネア·スミルナ”に在る。このネアは英語のnewを意味しスミルナを追い出された難民が住み着いた街。それまで人は住んで居らず集落の建設から二年後の人口は僅か210人程度だった。エンブレムには1890の文字。海を隔てたイズミルで体操クラブとして創設され現在も複数の競技種目で会員が汗を流す。ピッチを陸上トラックが囲み収容規模は11,700人。
◇◇◇◇◇
◆◆◆◆◆