松井より二歳年下のドゥマルコネは、16歳からル・マンのユースに在籍して2004年念願のトップチームに昇格。同年9月、後にle soleil du Mans=ルマンの太陽と称される日本人ドリブラーがクラブに加わる。
しかし21歳で左膝十字靱帯断裂と半月板損傷。選手生命を断たれれる重症からドゥマルコネが復帰したのは2007年全国選手権(三部)。そして16年パリから離れる事なく、この街のクラブで現役の幕を閉じた。
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2017年4月7日 28節 観客数は1000人に満たないASリヨン・デュシェとの試合。カバー写真は、パリ・サンジェルマンの試合前に撮影した本物のパリジェンヌ。PSG ではなくパリFCを応援するマイノリティのこだわりは尊敬に値する。
スコアレスの盛り上がりに欠ける内容に、サポーターが不満を抱えての帰路を覚悟しだしたアディショナルタイムに劇的なドラマが。
右からの折り返しをヒールで流し込んだのは9番カマラ。但しこの試合、個人的なMVPには、最終ラインの防波堤、無失点に貢献したエルヴェ・リボイ:Hervé Lybohy【1983年7月24日】を推す。
コートジボワールに生まれ、両親と共にパリへと移住した5歳の少年。成長し四部相当のCFAに在籍、アマチュア時代が長くプロ契約に漕ぎ着けたのは2011-12シーズン、当時27歳を迎えていた。
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遅咲き中の遅咲き、遂にA代表デビュー されど・・・
この写真を撮影して数日後、パリFCはリボイとの契約期間が満了。
自身のキャリアが静かに終焉を迎えたと思っていた矢先、代理人から電話が鳴る。「最初は冗談だと思った」と本人もまさかの展開。昇格クラブのニーム·オリンピックとの契約が実現する。35歳で人生初のリーグアンのクラブへ。開幕戦からベンチ入りすると、指揮官ベルナール・ブラカール:Bernard Blancan【1958年9月9日生】は、5節FCジロンダン・ボルドー戦のスタメンにリボイを起用したから、遅咲き中の遅咲きが大輪の花を咲かす。
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翌19-20シーズンは、2部のナンシーで28試合出場。フランス人新監督ジャン=ギュイ・ワレンム:Jean-Guy Wallemme【1967年8月10日生】率いるニジェール代表の一員として、36年前に生まれた母国コートジボワールとも対戦する。