54〗Stade Sébastien Charléty /パリ

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右からの折り返しをヒールで流し込んだのは九番デンバ·カマラ:Demba Camara【1994年11月7日生】。前月の親善試合、ギニア代表はカメル-ン代表に2-1で勝利しており、先制得点を決めたのがこの二十二歳。その実績を買われて六月の本番、アフリカネイションズカップ予選グループHコートジボワール戦ではセンタ-フォワ-ドでスタメン。得点こそなかったもののフル出場し敵地で価値ある三ポイント獲得に貢献した。三部リ-グでA代表は珍しいと足を運んだ筆者の期待に応えてくれたのは有り難いが、試合後に高く評価したのは、最終ラインの防波堤と守護神の二人。
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先ずはこの日全身緑色一色のヴァンサン·ドゥマルコネ:Vincent Demarconnay【1983年4月5日生】。おそらく何方も知らない。トップリ-グのピッチに一度も立つこと無かったその顔と名前を覚えている日本人がいるとするならば、日本フットサルトップリーグの理事長に就任した松井大輔:Daisuke Matsui【1981年5月11日生】氏ぐらいだろうか。
2004年に京都からルマンに移籍しフランスのみならずロシア、ブルガリア、ポーランド、ベトナムでもプレー、昨年横浜でキャリアを締め括った松井。※ここからは現役時代の話なので敬称略
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パリFCでは計三百七十三試合に出場 リ-グ·アンに届かぬままグロ-ブを置く

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松井より二歳年下のドゥマルコネは、十六歳からル·マンのユースに在籍して念願のトップチームに昇格したのが04年だった。同年9月、後にle soleil du Mans=ルマンの太陽と称される日本人ドリブラーがクラブに加わり一時同じ釜の飯を食った同僚。
しかし二十一歳の時に左膝十字靱帯断裂と半月板損傷。選手生命に関わる重症からドゥマルコネが復帰したのは2007年ロモランタンでの全国選手権だった。15-16シーズンにリーグ·ドゥに昇格したパリFC。ドゥマルコネは、04年のル·マンでのナンシ-戦出場以来となったが僅か一年で降格。

結局このシーズンは三位どまり、入れ替え戦での敗退に落胆。一年でのリーグ·ドゥ復帰が叶わなかったところに棚から牡丹餅。リ-グ·アン最下位のSCバスティアが財政難を理由にリーグ·ドゥから更に降格。三位パリFCの繰り上げ昇格が決定した。ロモランタンでの八試合を含め、百七十二試合において全国選手権の舞台でゴ-ルを守り続けたドゥマルコネも遂に三部を卒業。そこから六シーズン百八十試合リーグドゥの試合でゴ-ルマウスの前に立ち続け身を呈した。松井より一足早い引退は一昨年。けして多くはないパリFCサポーターから熱烈なエールを浴びる感動のフィナ-レ。その生涯の大半をパリFCに捧げた選手生活は計三百七十三試合。結局パリFCを一部昇格へと導く夢にこそ、たどり着けなかっただけに、今季ジャン=ブーアンでの試合を心から楽しみにしているのではないだろうか。


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もうひとりは屈強な体躯のセンタ-バック。エルヴェ·リボイ:Hervé Lybohy【1983年7月24日】。コートジボワールに生まれ、両親と共にパリへと移住したのは五歳のとき。成長して四部相当のCFAに在籍、アマチュア時代が長くプロ契約にようやく漕ぎ着けたのは2011-12シーズン、当時二十七歳を迎えていた。
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