競技会場は 観光名所揃いの五輪とパラリン
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シャルルドゴール空港から羽田空港への直行便。現在は第三だけでなく第二ターミナルにも国際線が到着するほど。交通アクセスを考えれば、今後都民や神奈川県民の利用頻度は高まる一方。パリからメダリスト達の帰国が続いたのは先週まで。現在は障がい者アスリートが奮闘中。TVを見る時間も習慣もないが、オリンピックよりはパラリンピックのほうが気になる。昨日の朝ミュンヘンからの便では中国戦を控えた堂安律:Ritsu Dōan【1998年6月16日生】選手の姿も。
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十二年ぶりに五輪が欧州に帰ってきて連日熱戦が繰り広げられる花の都パリ。同市での開催は1924年から百年ぶりで通算三度目。環境への配慮から既存施設や仮設使用を選択(設備全体の95%)。二酸化炭素など温室効果ガスの削減を重視するサステナブル五輪は前回の東京から引き続き取り組んでいる。
そのなかで唯一前回に続き使用となるのがスタッド·デパルトモンタル·イヴ=デュ=マノワールが第169話。1924年の大会ではメイン会場。1938年FIFAワールド杯には四万は八千人がイタリア連覇の瞬間に立ち会った。パリの北側にはオー=ド=セーヌ県とセーヌ=サン=ドニ県。スタッド·ド·フランスとの距離は10キロ程度か。2002年から県が所有管理しているこの施設もともとは競馬場。当時はアマチュアスポーツの練習場としても利用されていらのだが、五輪開催が決まり本部兼オリンピック村として指定されると、テナントのフランス競馬クラブからスタジアム建設の提案がされた。
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1928年に飛行機の操縦中に死亡したラシンクラブのラグビー選手の名前が付けられたこのスタジアムは、ワールド杯以外でも、クープ·ドゥ·フランス決勝は42回行われている。1963年のフランス対ブラジル戦。ペレ:Peléことエドソン·アランテス·ド·ナシメント:Edson Arantes do Nascimento【1940年10月23日生-2022年12月29日没】がハットトリックを達成した伝説はこのスタジアムで生まれた。
今回はホッケーで使用され、オリンピック終了後はフランスフィールドホッケー連盟の本部が置かれる流れ。競技名称の由来とされるのがフランス語のホケット=hocquet。ただしフランスが強豪国でもなければ競技人口も然程多くはない。この種目はオランダが強かったはず。
十年以上前ならばトレシューを持参し欧州各都市で一期一会の球蹴り興じていた。最も交流を深めたのが実はパリ。
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この写真が示すとおり、アンヴァリッドの芝生に覆われた広大な前庭が市民に解放されており、日曜日の午前中足を運べば仲間に加えてもらえる。今回は仮設の競技場でアーチェリー、陸上競技等が開催された。
アレクサンドル三世橋の浮桟橋をスタートするのはトライアスロン。セーヌ川を泳ぎシャンゼリゼ通りを自転車で駆け抜け最後は走って同橋に戻るコース。橋の先にはアートフェアなど美術系イベントで度々足を運んだグラン·パレが見える。こちらはフェンシングと跆拳道の会場に。
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フランスで最も人気のあるスポ-ツは、やはりLe Foote。実際に輪の中に入ると筆者が本場欧州で通用するかはさておき、日本のお父さんや子供たちは負けず劣らずのレベルにあると思う。ただしフランスのお母さん達が相当巧く垣間見えるほど、女子サッカ-の歴史となると比較にならない。もっとも日本で運動神経の良いママさんは皆バレ-ボ-ルに流れるのか。フットボ-ルに次いで人気のスポ-ツとされるのがサイクリング。今年は五輪直前に開催されたツール·ド·フランス2024。その大会規模は、五輪やワールド杯と肩を並べる。ちなみに自転車大国オランダでは日常に溶け込み過ぎてサイクリングをスポーツと認識されてはいないのか。