サッカーは全てピッチ上で起こる。
ピッチ外で行われる様々な行動は、あくまで付け足しであり、蛇足である。
しかし翻って言えばサッカーを見つめる上でピッチからどれだけのものが引き出せるのか。
そしてその中の現象をしっかり捉え、それをその場偶然とは言い切れない、「何か」を発見した時の喜び、あるいは驚き・驚異があり、
そしてそれらの積み重ねとしての最終的な結論である「試合結果」という現実への集結。
そういったことをいかに道き出すのことができるのか。それこそサッカーをみる者の楽しみであり、ところが困難でもある。
何故困難であるのか、それは端的に言えば、私達が神の視点を持たないからだ。
ピッチ上で起きているすべての出来事、それらにすべて意味があることを指摘する人は多い。その例としてオフ・ザ・ボールの選手の動きに対しての、線審の位置取りに対しての、ボールボーイのボールを放り込む早さまで、全てが最終的に結果につながっていることを私達は知っている。
また私達は経験上、特にビッグマッチと言われる重要な試合において、普段であるならば注目もされないようなワンプレー、ワンアクション、ワンジャッジがとてつもない重要性を帯びてくることが多々あることを痛切に感じてる。
また逆に全く予想もできないスーパープレーが生まれる瞬間に立ち会うことがある。まさに「ゾーン」と言われるような驚異的な精神状態の中にあるような選手がいる。
そして何度も何度もスーパープレーを披露してきた名プレーヤーが、「その時に限って」考えられないミスを犯すという、歴史上の悲劇を何度と目撃したことか。
さてこうしてたくさんの試合を見てきて、改めてサッカーとはなにかと聞かれた時になんと答えるべきであろうか?
「人生そのものである」という人がいたとする。
プレー経験者やファンにはそうしたことを口にする人が多い。
おそらくそのとおりであろう。
意味するところはやや大げさであるが、最大限に解釈して、我が人生を全てをサッカーに捧げるという意味であろう。