第20話はラトビア代表チームの本拠地スコント·スタディオン。収容人員は九千五百人。
あの日あの時はあの日あの時は■2003年11月15日EURO予選プレーオ第一戦ラトビア代表対トルコ代表
’00年6月に完成以降 最多の九千人を動員したこの試合はラトビアが’91年にソ連邦から独立後、同国最大のスポーツイベントであることは間違いない。
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バルトは厳寒《スコントスタジアム》凍えて敗れたトルコ代表
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建国記念日の三日前に行われたナイトゲーム。イスタンブールの11月平均最高気温は十五度くらい。一方リガは日中でも五度。日が暮れたらマイナスは珍しくもなく、トルコの選手達はベンチで毛布にくるまっても震える羽目に。互いに赤をチームカラーにしており、ピッチ登場時はお揃いにも見える赤のジャージ姿。ホームチームは上下+ストッキングまで赤で統一。トルコ代表はアウェーの白にユニフォームに右腕には黒い腕章。試合前には一分間の黙祷が捧げられた。土曜日早朝にイスタンブールのシナゴーグでの爆破事件で二十人が鬼籍に入ったばかり。
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予選グループリ-グでハンガリーとポーランドを上回り、プレーオフ出場権を獲得したラトビア代表。しかしこの日の相手は前年のワールドカップ日韓大会で三位のトルコ。五か月後には日本のヴィッセル神戸に加入する王子イルハン·マンスズ:İlhan Mansız【1975年8月10日生】もスタメン出場している。
トルコの最大のチャンスはインテルのミッドフィールダー、エムレ·ベロゾグル:Emre Belözoğlu【1980年9月7日生】に二度訪れた。ハーフタイム直前に強烈なシュートでラトビアのアレクサンドルス·コリンコ:Aleksandrs Koļinko【1975年6月18日生】は肝を冷やしたが、試合終了間際のヘディングシュートもポストに弾かれた。凍てつくピッチ上ではミラノで放つ輝きは失われ運に見放された。
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フットボール大国を脅かしたEU新参の両国
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2004年5月1日、新たに十ヵ国が加盟しEUは一気に大所帯へ。認められたのはキプロス、マルタ、ポーランド、ハンガリー、チェコ、スロバキア、スロベニア、エストニア、リトアニア。そしてラトビア。更に四十日後にはUEFA欧州選手権=EURO2004本選が開幕。初戦こそチェコに敗れたものの第二戦は前年、横浜でブラジルと世界一の称号を争ったドイツ。その強敵相手にスコアレスドロー。この結果、三強一弱と思われたグループは大混戦に。同時刻にキックオフのチェコ対ドイツでドイツが敗れた為、ラトビアを下したオランダが逆転のグループ突破を果たす劇的な結末が待っていた。
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試合前オランダの背番号15、フランク·デ·ブール:Franciscus De Boer【1970年5月15日生】主将がペナントを交換。
’22年FIFAワールドカップ日韓大会は、かつてアヤックスで奇跡のチームを率いたルイス·ファン·ハール:Louis” van Gaal【1951年8月8日生】を招聘しながら予選敗退。世代交代を進める新オランイェの中で旧世代のデ·ブールにとってこの大会が最後の花道に。代表出場試合数は百十二試合。フィールドプレーヤーでは現在もヴェスレイ·スナイデル:Wesley Sneijder【1984年6月9日生】に次ぐ第二位の記録。’03年に代表デビューを果たしたスナイデルはこのラトビア戦にも後半途中出場している。そういえばデ·ブールとスナイデル。この二人キャリアの晩年にはトルコのガラタサライでプレ-していた。
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