サンパウロFCは創立90年の節目を迎えた1990年名将テレ・サンターナを監督に招聘した。ジーコが背負ったセレソンの背番号10を受け継ぐ男はクラブ史上最強のメンバーを牽引しモルンビーの観客は狂喜した。
登録名はライー。
【南米王者への道のり】
1991年12月15日サンパウロ州選手権決勝の名場面が《53秒~》の映像。豪快なミドルを突き刺すと、この日PKを含むハットトリックでコリンチャンスに圧勝。五年ぶりの全国制覇と併せ二冠へと導く。
翌92年、ニューウェルス・オールドボーイズとのコパ・リベルタドーレス決勝はH&A形式。アウェーでの初戦こそ0-1で落としたが、ライーのPK成功により2試合を通して同点に追いつく。ホームで逆転を狙うサンパウロFC。映像ではライーが決めた後ゴールキーパーの抱えるボールを奪おうとしているが、粘られた末に勝負の行方はPK戦へ。東京行きのチケットは三人が成功したサンパウロFCが手にする。10月12日来日前のノレスト戦では超ロングシュートを含む1試合6得点の活躍で好調をアピール。
【世界一の称号を手にした伝説のフリーキック】
1992年12月国立でのインターコンチネンタル・カップはこの動画のハイライト。ヨハン・クライフ率いるFCバルセロナが12分に先制。27分、左サイドからのライナー性のクロスを胴体でコースを変えて同点に。そして79分、サンパウロが好位置でFKを獲得。ライーが一度軽くボールを流すとカフーが止め、再びライーが右足を鋭く振り抜いた。弾道がゴール左隅に吸い込まれるのをスビサレータは見送るしかない。ベンチも含めトヨタカップの歴史でも屈指の豪華な顔ぶれも、主役ライーの引き立て役でしかなかった。
ライーはパリサンジェルマンに移籍後再びサンパウロにて国内復帰。1998年の州選手権決勝はキャリア最後の大一番。背番号23がヘディングでゴールを決めた《2分33秒》の映像。そして隣で歓ぶ11番のドリブラー、デニウソンへと天才の称号は世代を交代する。