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ヴィッセル神戸加入なるか?近年のドイツ代表10番=ポドルスキの光と影

 昨年の明治安田生命J1リーグ第2ステージで2位へと躍進したヴィッセル神戸。しかし、オフには昨季11得点12アシストを記録してJ1のアシスト王となったFWペドロ・ジュニオールが王者・鹿島アントラーズへと完全移籍で流出。

 他のポジションで代表経験のある実力者を多数獲得して大型補強を行ったとはいえ、昨季19得点を挙げて初のJ1得点王となったFWレアンドロと同12得点の主将FW渡邉千真と3人でチーム総得点56の75%となる42得点を挙げた“最強トリオ”の解体は、新シーズンに向けて危惧されるポイント。

 しかし、一気にそれらを吹っ飛ばすほどのワールドクラスの実力者=元ドイツ代表FWルーカス・ポドルスキの獲得が夏にも決まるようだ。

 神戸はサポーターのみならず、日本のサッカーファン全体の注目を浴びるクラブへと変貌を遂げそうである。

“悪魔の左足”を持つ『世界王者の10番』、年棒10億円の価値

 ポドルスキを一言で喩えると、(ブラジル代表DFロベルト・カルロス引退後の)この10年間ほどの『悪魔の左足』というキャッチコピーが最も似合うパワーショットを武器とする左利きのFWだ。

 彼は左サイドMFとしても起用されて来たが、その際は現在のサッカーでは当たり前になったゴール前のGKとDFの間にシュート性どころか弾丸シュートを打ち込み、味方でも相手でも当たれば得点となるような超高速クロスを多用し始めた先駆けとなった選手の1人だ。そんな得点もアシストも量産に繋がる驚異的な左足の威力と精度を誇る。

 そんなポドルスキは2004年6月に19歳でドイツ代表にデビュー。昨年に代表引退するまでキャップ数129試合を刻み、ドイツ代表歴代3位の48得点を記録。さらに2010年のFIFA南アフリカW杯からは4つの主要国際大会でドイツ代表の10番を背負って来た。

 世界王者となった2014年のブラジルW杯や昨年のEUROフランス大会でも10番を背負っており、近年も競争の激しいドイツ代表に定着して来た本物のエリートなのだ。

 “早熟の天才”と表現されそうなキャリアを辿っているが、現在31歳。現在も所属しているトルコの名門ガラタサライでもレギュラーを担い、国内カップ優勝やUEFAチャンピオンズリーグにも出場。最盛期のスピードは無くなったとはいえ、まだまだ世界の第1線でも通用するレベルは維持していると考えられる。

 報道通りであれば推定年棒が約10億円の2~3年契約。背番号も昨年神戸に後半戦から加入し、攻守の要として第2ステージ2位躍進に大きく貢献したブラジル人MF二ウトン選手が10番から7番へ変更。エースナンバーを空けて加入を迎えるのも納得の超ビッグネームだ。

『ケルンの王様』は育成改革が生んだ最初のタレント

 上記のように彼のドイツでの至宝ぶりを伝えているが、彼の出身地は実は隣国ポーランド。旧ドイツ東部領土であるシロンスク県グリヴィツェの出身だ。偶然にも彼とドイツ代表で2トップを組んだ盟友であり、大先輩のFWミロスラフ・クローゼもポーランド出身だ。

 ドイツ代表は2000年にベルギーとオランダで共同開催されたEUROでグループリーグ敗退を喫した。その際、2006年に母国開催のW杯を控えるサッカー大国はその危機を転換点とし、国家のバックアップ体制をとって育成の大改革を行った。ドイツサッカー協会専任のインストラクターやコーディネーターが国土全体に送り込まれ、新たに全国に300以上のトレーニング拠点を作ったり、移民を代表チームに取り込む組織的な動きもとった。

 2歳の時にボルシア・ドルトムントやシャルケ04が拠点を置く「ドイツ最大のサッカー処」として知られるノルトライン=ヴェストファーレン州ケルン近郊に移住し、2003年に1FCケルンで18歳の時にプロデビューしたポドルスキは、そんなドイツの育成改革が生んだ最初のタレントだ。

 ケルンは2部降格となったものの、デビューイヤーから1部で19試合10得点と二桁得点を記録したポドルスキはシーズンオフのEURO2004ポルトガル大会に19歳で出場を果たした。翌シーズンに2部得点王となる24得点を挙げてケルンの1部復帰に貢献する大エースに成長し、2005-2006シーズンにも1部で12得点。

 気が付けばドイツ代表でも主力となっており、21歳で迎えたドイツW杯ではクローゼとの魅惑の2トップで、これまでの実用的ながら退屈なスタイルから攻撃サッカーへと大変貌を遂げたチームで3位入賞に貢献。3得点を挙げて、ポルトガル代表のクリスティアーノ・ロナウドや、アルゼンチン代表のリオネル・メッシ、スペイン代表のセスク・ファブレガスを抑えて、大会の最優秀若手選手賞に選出されたのだ。

 しかし、ケルンが2部降格に陥った事で、W杯直後のシーズンから加入したドイツの盟主バイエルン・ミュンヘンでは世界トップレベルの攻撃陣が揃う中で定位置を掴み切れず、在籍3年でのリーグ戦通算得点は15のみ。バイエルンが近年で最も低迷期にあったのもポドルスキには不運だったが、『ケルンの王様』の称号は「ケルンでしか活躍できない」という揶揄されるような意味でも使われているのだ。

クラブチームのようなドイツ代表