61〗Nya Ullevi / ヨーテボリ

第61話はウッレヴィ。名称は北欧神話の勝負の神《ウル》から拝借。収容人数は四万三千人。1958年のWCで使用されたと言われても生まれる前。やはり我々の世代には1992年6 月26日に UEFA欧州選手権(Euro)決勝でデンマークとドイツが対戦した会場として記憶に刻まれている。デニッシュ·ダイナマイトが起こした奇跡を日本のサッカー誌も大きく取り上げていた。クラブチームでは 1981-82シーズンと’86-87シーズンの二度ヨーテボリがUEFAカップ(UC)を戴冠。当時は決勝戦もホーム&アウェーだったからトロフィーを掲げたのは何れも敵地での第二戦だった。アヤックス·アムステルダムがACミランをエルンスト·ハッペル·シュタディオンで破った伝説の’94-95CL決勝。準々決勝でドイツ王者にアウェーゴール差で敗れこそしたもののグループステージではFCバルセロナ、マンチェスター·ユナイテッド、ガラタサライ相手にホームで全勝。堂々の首位通過で八強入りしたのがスウェーデン王者。今では考えられないが、当時は番狂わせでも何でもない。なぜならばシーズン前に開催された WCアメリカ大会ではスウェーデン代表が三位=銅メダルを獲得しており。チームにはヨーテボリから七名も招集されていたのだから。スウェーデン王者ヘルシンボリ登場は予選二回戦からのCL。ベラルーシのBATEボリソフを下して三回戦ではインテルと対戦。サンシーロではスコアレスドロー。ホームで1-0の勝利で本選へ。開幕間もなく連携の成熟度で劣るビッグクラブをUCへと追いやる大殊勲。そのUCでもスウェーデン勢で健闘したのはハルムスタッズ。ポルトガルの強豪ベンフィカSLを退けて二回戦へ。エントリーした全四クラブが予選を突破し臨んだ一回戦、AIKはデンマークのヘルフォーグBK、ノルシェーピンはチェコのリベレツに敗戦。
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あの日あの時は■2000年9月28日 UEFAカップ一回戦第二節オルグリーテIS対SKラピド·ウィーン。北アイルランドのコールレーンを予選で下し一回戦へと進出したのがヨーテボリのクラブから唯一この大会に参加したオルグリーテ。エルンスト·ハッペルでの初戦は0-3の敗戦。この試合も一点を奪われ一回戦での敗退は濃厚。それでも一矢報いたのが後半27分、途中出場した背番号9エリック·ヨハンソン:Erik Johansson【1976年5月18日生】は、左サイドのタッチライン際にさがりボールを受けると中央の密集へと侵入、最後は裏に抜け出し飛び込んできたゴールキーパーを嘲笑かのような柔らかな浮き球でネットを揺らした。フィニッシュも素晴らしかったが、その前の三回自身がボールに触れる美しいパスワークを披露したのは見事。この試合でヨハンソンがピッチに入った二分後に十代のプレーヤーがイン。翌年小野と共にデ·カイプでUCトロフィ-を掲げたヨハン·エルマンデル:Johan Ermander【1981年5月27日生】である。
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衝撃の連弾 故郷に戻っていた懐かしのウインガ-

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現在スウェーデン二部のスーペル·エッタンは 21試合終了。首位を走るオルグリーテで懐かしい顔を見掛けた。トビアス·サナ:Tobias Sana【1989年7月11日生】は、地元ヨーテボリ出身。2008年にスーペルエッタンでプロデビューし翌年IFKヨーテボリに移籍。アルスヴェンスカンを研鑽を磨き’12 年アヤックスの一員に。入団発表の際には’95年ミラン戦で決勝ゴールのオランダ代表パトリック·クライファート:Patrick Steven Kluivert【1976年7月1日生】と、母国の英雄ズラタン·イブラヒモヴィッチ:0Zlatan Ibrahimović【1981年10月3日生】に憧れの存在として挙げた。
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