Foot ball Drunker 〔80〕visiting 『Nea Smyrni Stadium』ネア·スミルニ / ギリシャ

僅かな生存者 旧オスマンから排除されたギリシャ人の街

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謹賀新年、眩しい白のファッションが初々しいカバー写真。欧州の『白い』街並で、まず頭に浮かべるのはエーゲ海の青と白壁のコントラスト。ギリシャのミコノス島やサントリーニ島の景観はギリシャ国旗そのもの。

本年は五輪イヤー。まず新年初は近代五輪発祥国であり来月訪問するギリシャから。2014年のFIFAワールド杯ブラジル大会で日本とギリシャ代表が対戦して早十年。
UEFA欧州選手権予選のプレーオフ、ギリシャは第一関門カザフスタンをクリアすれば、ジョージアとルクセンブルクの勝者との決戦。本選への道程は然程険しくないルートが拓けてはいる。とはいえ油断は禁物。


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勝負にタラればはないが、ナタールのドゥナス競技場での試合は、コンスタンティノス·カツラニス:Konstantinos Katsouranis【1979年6月21日生】の退場とコンスタンティノス·ミトログル:Konstantinos Mitroglou【1988年3月12日生】の負傷交代がなければ、ザックジャパンは二戦目にして息の根を止められ、コロンビア戦は消化試合になっていたかもしれない。

それにしても古代ローマ帝国の皇帝と近代ギリシャ国王の名前を男の子に名付けるギリシャ人は多い。
ローマ皇帝が建設してから1922年までの長きに渡り四帝国の首都だったコンスタンティノープルは現在のイスタンブール。
 

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1923年10月29日年にムスタファ·ケマル:Mustafa Kemal 【1881年5月19日-1938年11月10日】がトルコ共和国樹立を宣言、首都をアンカラに遷都して百年の節目だったのが昨年。トルコ第三の都市イズミルを紀元前に発展させたのはアイオリス人やイオニア人。
第80話はパニオニスGSSのホーム、スタディオ·ネア·スミルニ。アテネ郊外の街「ネア·スミルナ」に在る。このネアは英語のnewを意味し、エーゲ海の東側、現在のトルコ西部イズミル(ギリシャ語でスミルナ)を追い出された難民が住み着いた街。それまで人は住んで居らず集落の建設から二年後の人口は僅か210人程度。スタジアムが建てられたのは1939年。

エンブレムには1890の文字。体操クラブとして創設され現在も複数の競技種目で会員が汗を流す。ピッチを陸上トラックが囲み収容規模は11700人。
オルフェウスとジムナシオンが合併したパニオニオスGSSは二年後にフットボール部門を設立。96年近代オリンピックの歴史の幕はアテネで開く。パニオニオス所属の選手達は、五輪以前からギリシャ代表としてあらゆる国際陸上競技大会に出場していた。


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今でこそエーゲ海を挟んで西のギリシャに東のトルコと国境が明確に線引きされてはいるが、当時のスミルナはオスマン帝国領土でも暮らしているのはギリシャ人。1920年、一次大戦でギリシャを含む連合国がオスマン帝国に勝利しギリシャの領土に。しかしケマル率いるトルコ国民軍が反撃に転じ22年にはイズミルを奪還する。

八年の間に数十万人にも及び旧オスマン在住のギリシャ人が民族浄化の名のもとに虐殺された。生存者の大半はギリシャへ、東部在住者はロシアへ難民として向かった。終戦によりトルコ領内のギリシャ正教徒とギリシャ領内のイスラム教徒を交換。前述のとおり残ってネア·スミルニで暮らし始めたのは、ほんの僅かな人々だった。