49〗Lotto Park / アンデルレヒト


◆◆◆◆◆

この夏の参院選選挙でオレンジ色が駆け抜けた日本列島。国会での予算委員会が始まっているが どうしても書かずには腹の中の怒りが収まらないのが、二度の記者会見での記者排除騒動。一度目の会見で排除された輩が二度目で謝罪要求するなど空気の読めなさに呆れ果てた。ちなみにTBSの「報道特集」が、神奈川新聞記者を擁護したらしいが見る価値もないので見ていない。同局は1969年のTBS成田事件から何も変わっていない。この記者を検索すると俗に《活動家記者》としてのトラブルがネット上で散見する。結論から述べるならば、このような暴力的な危険性を感じさせる人物を出禁にするのは至極真っ当。
毎日新聞も8月4日「参政党の記者排除 知る権利を軽んじている」と的外れの批判を社説で書いたらしいが、金を払う価値がないから読んでいない
◇◇◇◇◇


◆◆◆◆◆

一般社団法人日本新聞協会の定める報道倫理綱領から一部抜粋すと、■正確と公正:〔記者個人の立場や信条に左右されてはならない〕とある。

公正の二文字が頻繁に使われるのは法廷とスタジアム。公正な裁判と公正なジャッジメント。日常ではあまり使用しない言葉である。
それに比べ公平、不公平は職場や家庭でも比較的耳にする。「自分と息子のカレ-には肉、パパのカレ-には人参しか盛らない嫁」
これを不公平と言わず何が不公平なのか。
公正は「正しい」ことを重視するのに比べ、公平は「平等」であることに趣を置く。公正のほうが、より上位概念で、公平な状態を実現するためには公正さが求められる。
サッカ-の試合でレッドカ-ドが出され、数的不利な状況は不公平ではあるが悪質なファウルに対しての罰を与えているので公正な判定となる。
その正確で公正な記事を書くべき立場の新聞記者が極左活動家を兼任しているのである。ちなみに神奈川県民である筆者の周辺ではこの活動家記者は「神奈川の恥」と呼ばれているが、極左活動に関しては勝手にすればよい。しかし新聞記者も兼任してます。では筋が通らない。何のための報道倫理綱領なのか。
◇◇◇◇◇

求められるのは資格ではなく品格

◇◇◇◇◇

今回の参院選選挙を、与党と野党がピッチ上で票を奪い合う試合に例えるならば、マスコミは審判の立ち位置となる。多少判定に偏りがあったとしても許容範囲。しかしオレンジのユニフォ-ムの選手が後方からのスライディングタックルで倒され、驚いて振り向いたら、倒したのは審判だった。品格
自分は「審判と選手を兼任してますから」胸を張っているのだから話にならない。そして「こんな輩は出禁にされて当然」と思っている国民の声に気づかず自分の歪んだ正義を日々紙面やネット上で公開している姿は滑稽でしかない。
報道倫理綱領には■品格と節度:〔表現には品格を保つことが必要である。〕ともあるが、極左活動家記者には出禁に謝罪を要求する前に自身の品格を磨かれることをお勧めする。〖第四十九話了〗
◇◇◇◇◇

◆◆◆◆◆

文/写真:横澤悦孝 モデル:佐渡悠希