UEFAヨーロッパ·カンファレンス·リ-グ(ECL)でスルプスカ共和国のFKボラツ·バニャ·ルカがオリンピア·リュブリャナで試合をするならばと取材に出向いた。同クラブの注目のプレ-ヤ-は、サンディ·オグリンツ:Sandi Ogrinec【1998年6月5日生】。ホ-ムでの初戦はオグリンツのアディショナルタイム弾で劇的な幕切れ。スロベニアの都では虎の子の一点を守りベスト16へと名乗りをあげた。八強入りを賭けて対戦したのはラピド·ウィ-ン。ホ-ムでの初戦はドロ-、それでも後半21分オグリンツの先制弾でサポ-タ-を歓喜させたのも束の間。四分後に追い付かれ延長戦で力尽きた。ボスニア·ヘルツェゴビナのクラブがUEFAコンペティションで十六強入りは初の快挙。オグリンツも原動力のひとりに。
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偶然にもこのスロベニア人ミッドフィルダ-を初めて見たのは’22年5月29日。その相手がリーグ最終戦で連敗したラピドだった。最終節の直接対決でヴォルフスベルガーACにまさかの敗北。四位と五位の順位が入れ変わっていたとは。ECL出場権を賭けたプレ-オフ第二戦はプレス申請が頭から抜け落ちて一般客としての観戦。試合後宿でオッタクリンガーを飲んだのは間違いない写真。一点のビハインドでWSGチロルは三枚替えの大胆な策。当時二十三歳のオグリンツは二十八分間プレ-しているが正直印象に残っていない。
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あの日あの時は■2016年5月21日プルヴァリーガ·リーガ最終節[36節]NKマリボル対NDゴリツァ
既に九節から首位をした独走オリンピア·リュブリャナの優勝は確定。CLの切符を手に入れたていた。二位のマリボルから三位ドムジャレ、四位ゴリツァまでがELとこちらも決まっている消化試合。好天には恵まれたが観客二千人は仕方のないところ。そこでダルコ·ミラニッチ:Darko Milanič【1967年12月18生】監督に抜擢されたのが翌月十八歳の誕生日を迎えるオグリンツだった。
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試合は残り八分、アンドレイ·コトニク:Andrej Kotnik【1995年8月4日生】がエリア外から豪快なミドルを決めて同点、更に五分後、集中力が途切れたか逆転弾を許して黒星でシ-ズンを終えた。それでもフル出場したオグリンツのプレ-にミラニッチも満足した様子。合格点を与えたのではないだろうか。
またコトニクはゴリツァとの契約が満了した'19年マリボルへと移籍。国際試合の予選も含め五十三試合に出場している。、現在は何故か中国二部で燻ってしまったが。オグリンツは、'21年のUEFA·U21欧州選手権メンバ-に招集され今季チロルからスルプスカの強豪へ。
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『みんなの庭に集まる』理想のスタジアム
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その昔墓地や教会があった区域をスポーツ·レクリエーション公園として使用するにあたり、スロベニア語でLjudski vrt=ドイツ語でフォルクスガルテン:Volksgarten と名付けられる。人民公園と訳せばよいのだろうか。1823年に開園したウィーンをはじめ、ミュンヘンやケルンでも公共公園にはこの名が用いられるケースは少なくない。
リュドスキ·ヴルトljudski vrtを英語に訳すとPeople’s Gardenまたはフォーク·ガーデン=民俗庭園になるらしい。城を中心に徒歩10分圏内に芸術·スポーツなど観光スポットが集まる街。スタジアム内の撮影が終了。お礼を言って立ち去ろうとすると「ljudski vrtは日本語は何と言いますか?」と聞かれたので、市民庭園では少々堅いのでMINNA NO NIWA=みんなの庭と答えたのだが、あながち間違ってはいないと思っている。[第58話了]
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