カバー写真のマッチデープログラム。2017年6月11日ハムデンパーク。ワールド杯予選グル―プFはスコットランド代表とイングランド代表の対戦。
当日グラスゴーは朝から小雨模様。それでも昼には雨脚も止まり、スタジアムが開場する頃にはかなり強めの陽射し。機関銃を手にした夥しい人数の警官達。男女コンビの私服警官と二回声掛けられたのはこの風貌が怪しいからではない。それぐらい歴史的な因縁を引き摺るこのカードは荒れるのが当たり前。
ISテロ以降、欧州の空港や市内で機関銃を見るのも珍しくはないが警官が記念撮影に応じるこの光景は珍しい。
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試合は翌日サンデータイムス紙面が報じるとおり、試合終了直前 FIVE MINUTES, THREE GOALS,の目まぐるしい展開。最後は千両役者が決めて幕。両者譲らずの2-2ドロー。
この紙面写真の5番は最後の最後でマークを剥がされたチャーリー·マルグルー:Charles Mulgrew【1986年3月6日生】。90分間神経をすり減らして、土壇場で集中力が一瞬途切れたかなという失点を責めるのはあまりに酷。
マルグルーは、当時ブラックバーン·ローヴァーズに所属しておりグリフィンパークで見たばかりだったから肩入れせずにはいられない。 2011年5月21日のスコティッシュ杯決勝はセルティック対マザーウェルFC。との決勝戦。韓国代表·奇 誠庸:Sung-yueng Ki【1989年1月24日生】の豪快なミドルでセルティックが先制。終了間際にはマルグルーのフリーキックがネットを揺らし3点目。キャリア初のタイトル獲得した忘れらないハムデンパーク。翌2011-12シーズンはリーグ年間MVPに輝いている。
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昨年9月にプロ生活引退を表明。最後のクラブはダンディー·ユナイテッド。ところが本年二月に仰天のニュース。マルグルーが一日限りの現役復帰。どうせチャリティマッチと思いきや、これが公式戦。それがセントラルミッドランズ·リーグ·ノース·ディビジョン。プレミアリーグから指折り数えて11番目のアマチュアリーグに友人に招待されての出場。誰がそんな無茶を頼むのかと思うがウィリー·マッケイ:Willie McKay 【1959年6月4日生】氏と聞けば納得もする。
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90年代初頭の英プレミア黎明期からモナコを拠点に600件以上の移籍を成立さるなど英国エージェントの重鎮として名を馳せたマッケイ氏。現在エージェント業は息子に継がせて隠居の身。
英国のフットボール通ならドンカスターのクラブならばブラックバーンと同名のローヴァーズ(四部)の名前を思い浮かべるはず。しかし今回マルグルーが籍を置いたのは2022年創立のドンカスター·シティ。設立時からスコティッシュ杯へのエントリーを宣言。懲りずに昨年も抜け道から出場しようとして拒否され話題に。また自身が所有するバウトリーの土地に最先端の総合フットボール施設の建設を計画。総建設費用は5,500万ポンドと見込んでおり、既に100万ポンド以上を費やしているのだとか。
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イングランドのクラブが何故スコティッシュ杯?と思われるた方のためこの街の歴史を紐解く。イングランドのスティーブン王とデイヴィッド一世との平和条約締結、そこで国境から200マイル南にあるドンカスターがスコットランドに割譲されたのは1136年。
1157年にはヘンリー二世がイングランドの統治下として取り戻している。然し専門家が調べたところ、正式な協定に署名されていないことが2012年に発覚する。厳密に言えば、サウスヨークシャーの町は依然としてスコットランド領地ではないのかと、なんとも奇妙な二ュースが報じられた。これに対し当時の名物市長ピーター·デイビス:Peter Davies【1948年生】氏は、「スコットランドになれば処方箋は無料、学生の授業料が無料、高齢者も無料の介護が受けられる」とコメント。
確かにスコットランド住民は域内のどの大学でも無料で高等教育を受けることができる。イングランドは薬代は無料でも医師からの処方箋は有料だったはず。この頃のSNPは独立と高福祉国家の実現に向けて勢いづいていた。