120〗Hampden Park /グラスゴー

試合は翌日サンデータイムス紙面が報じるとおり、試合終了直前 FIVE MINUTES, THREE GOALS,の目まぐるしい展開。最後は千両役者が決めての幕。両者譲らずの2-2ドロー。
この紙面写真のスコットランドの五番は最後の最後でマークを剥がされたチャーリー·マルグルー:Charles Mulgrew【1986年3月6日生】。90分間神経をすり減らして、土壇場で集中力が一瞬途切れたかなという失点を責めるのはあまりに酷。
◇◇◇◇◇

◆◆◆◆◆

マルグルーは、当時ブラックバーン·ローヴァーズに所属しておりグリフィンパークでフレ-ムに収めたばかり。グラスゴーの北西カーキンティロックで育ち名門セルティックのユ-スアカデミ-で磨かれた逸材に’トップチ-ムから声が掛かるのは02年。四年後に期限付き移籍のダンディー·ユナイテッドではレギュラーの
座を確保した。

あの日あの時は◼️2011年5月21日スコティッシュ杯決勝セルティック対マザーウェルFC。
公式入場者数は49,618人。三十七歳の現在も浦項スティーラース
でプレーする奇誠庸:Sung-yueng Ki【1989年1月24日生】の豪快な長距離砲でセルティックが先制。後半オウンゴールで追加点。終了間際にはマルグルーのフリーキックがネットを揺らし3-0の完勝。キャリア初のタイトル獲得したのがハムデンパーク。翌2011-12シーズンはリーグ年間MVPにも輝いている。
◇◇◇◇◇


◆◆◆◆◆

’23年9月にプロ生活引退を表明。最後のクラブはダンディー·ユナイテッド。ところが’24年2月に仰天のニュース。マルグルーが一日限りの現役復帰。どうせチャリティマッチと思いきやこれがなんと公式戦。セントラルミッドランズ·リーグ·ノース·ディビジョン。英プレミアリーグから指折り数えて十一番目のアマチュアリーグに友人からの招待出場。誰がそんな無茶を頼むんだよと思うが、ウィリー·マッケイ:Willie McKay 【1959年6月4日生】氏だったから納得せざるを得ないか。

英国の元大物交渉代理人 ドンカスタ-に往年の名プレーヤーが集結

◇◇◇◇◇ 

90年代初頭の英プレミア黎明期からモナコを拠点に六百件以上の移籍を成立させた英国エージェントの重鎮がこのマッケイ氏。現在エージェント業は息子に継がせて隠居の身。英国のフットボール通はドンカスターのクラブならばブラックバーンと同名のローヴァーズ(四部)の名前を思い浮かべるはず。しかしこの時マルグルーが籍を置いたのは’22年マッケイ氏が創立したドンカスター·シティ。スコティッシュ杯へのエントリーを宣言したものの抜け道からの出場を拒否され続け話題になったクラブチ-ム。

イングランドのクラブが何故スコティッシュ杯?と思われるた方のためこの街の歴史を紐解く。イングランドのスティーブン王とデイヴィッド一世との平和条約締結、そこで国境から200マイル南にあるドンカスターがスコットランドに割譲されたのは1136年。
1157年にはヘンリー二世がイングランドの統治下として取り戻している。然し専門家が調べたところ、正式な協定に署名されていないことが2012年に発覚する。現在のスコットランドの国境は、1237年のヨーク条約で決定されたのだが厳密に言えば、サウスヨークシャーの町は適用外で依然としてスコットランド領地ではないのかと、なんとも奇妙な二ュースが報じられた。これに対し当時の名物市長ピーター·デイビス:Peter Davies【1948年生】氏は、「スコットランドになれば処方箋は無料、学生の授業料が無料、高齢者も無料の介護が受けられる」とコメント。
確かにスコットランド住民は域内のどの大学でも無料で高等教育を受けることができる。イングランドは薬代は無料でも医師からの処方箋は有料だったと記憶する。
◇◇◇◇◇