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ヘスス·スアレス:Jesús Súarez【1959年5月31日生】氏の批評が翻訳された書籍の一文に「その情熱を肌に感じられたら結果はどうなろうと喝采を送る。類似例を探すならアルゼンチンのスタジアムに近いだろうか」とある。
アルゼンチンに行ったこともなければ行きたいとも思わないが、勝利至上主義のベルナベウとは確かに雰囲気は異なるかもしれない。試合は2-2、敵地での第二戦がスコアレスドローで終わりアウェーゴール差で八強進出ならず。最終戦で同スタジアムでの記念すべき千試合開催を達成すると翌シーズンはアベル·レシーノ:Abel Resino【1960年2月2日生】 からキケ·フローレンス:Quique Flores【1965年2月2日生】に指揮官が代わってUEFAヨーロッパリーグを制覇。シメオネ体制初年度の11-12にも同タイトルを戴冠しておりスペイン第三の強豪に浮上したのがこの頃。
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ベンフィカ戦の写真にojo con los portugueses=ポルトガル人には注意の意味に ! が付いたから「ポルトガル野郎には気をつけろ!」と乱暴な口調に訳すべきか。左上にMahouビールのコースターを添えたが右下のポルトガルのクラブとの対戦成績で注目したのはアトレティコトとポルトの対戦。09-10に続き翌シーズン更に21年と22年にも二年連続CLで顔をあわせるなど最近こそ新鮮味にかけるものの、この2009年の対戦のその前となると63年のフェアーズカップ。イベリア半島のお隣さんだから両都市間は東京から姫路ぐらいの距離だから日帰りできなくもない。四十六年も間が空いたならばお久しぶりですと挨拶したのかは知らないが、この間ポルトが二度欧州王者に輝いていてもアトレティコサポーターに全く格下意識がないのは間違いない。
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ウィーンで知ったマドリードからの朗報
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あの日あの時は■2013年12月11日UEFAチャンピオンズリーグ グループリーグ最終節アトレティコ·マドリー対FCポルト。前半再三の好機を逃しきわめつけは、ジョズエ:Josue Pesqueira【1990年9月17日生】のPK失敗。ラウル·ガルシア:Raul Garcia【1986年7月11日生】とジエゴ·コスタ:Diego Costa【1988年10月7日生】の得点で2-0の快勝。当時スマホを持っていないから、宿に戻るり備え付けのPC画面で結果を知った時は驚き桃の木急ブレーキ。
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