ベスト16にアルプスの壁 オランダ勢はイタリア北部を越えられるか
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UEFAチャンピオンズリーグの新フォ-マット。オランダからはPSVアイントホ-フェンとフェイエノールト·ロッテルダムがベスト16を賭け北イタリアの強豪に挑む。PSVの指揮官はペーター·ボス:Peter Bosz【1963年11月21日生】。ジェフユナイテッド市原を残留へと導き花道を飾ると、母国のアマチュア(AGOVV)で指導者の道を歩み始める。’02年にはデ·フラーフスハップを降格させてしまうのだが、二年後に就任したヘラクレス·アルメロを一部昇格へと導き汚名挽回。’05年7月、そのアルメロにフェイエノールトでの練習に参加、オランダ短期留学していた平山相太:Sota Hirayama【1985年6月6日生】の加入が発表される。昨年の関東大学サッカーリーグ(一部)で筑波大の連覇を阻んだのは明治大学。二年ぶりの奪還となる優勝で幕を閉じた。一昨年は筑波大大学院生の平山ヘッドコーチが実質的な指揮官として采配を振るっていたが現在は杜の都へと移住。仙台大学のサッカー部を指導しながら専任講師として教鞭を執る生活を送っている。
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ロッテルダムに生まれフェイエノールトでもプレ-したハンス·オフト:Hans Ooft【1947年6月27日生】氏。彼の日本サッカー界における功績のひとつにジュビロ磐田監督就任二年目の’95年、フィジオセラピスト(PT)=理学療法士をオランダから招くようフロントへ進言したことが挙げられる。現在では日本代表でもPTを採用しているが、当時は何をする人なのか全く知られていなかった。
初年度はオフト自身がその役割も担っていたから、勝負師タイプではなかったもののFCユトレヒトでディレクターを務めるなど28歳で引退後は幅広い知識と経験を活かし有能な総合管理職であったことは想像に難くない。
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常勝軍団を裏から支えたフィジオ·セラピスト
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’99年11月18日ユースウェルフェア·スタジアムでアル·イテハドに敗れたもののジュビロ磐田はアウェーゴール差で、幻に終わった世界クラブ選手権(スペイン開催)へのチケットを掴む。週刊誌に掲載された写真、メディカル管理で遠征に帯同したマルコ·ファン·デル·ステーン:Marco van der Steen【1965年11月16日生】氏の笑顔。「この人誰?」。調べたくても自身のパソコンは持っていないので職場でデスクトップの電源を入れる。一昨年までは’99年アジアのベスト4で磐田に屈したUAEのアル·アインでPTをしていたはずが現在は同国のアル·ナスルと契約。日本から欧州に戻りレッドブル·ザルツブルク、’13年からは母国のFCデンボシュで医療指導を任されている際に同クラブのルード·カイザー:Ruud Kaiser【1960年12月26日生】監督から紹介されたのが、前年昭和大学を卒業したばかりの中田貴央:Takahiro Nakada氏。
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カイザーは川島永嗣:Eiji Kawashima【1983年3月20日生】がまだ所属していた2011-12のリ-ルセSKでスポーティング·ディレクターを務めていた人物。ステーンに気に入られ即採用される。中田氏はサッカー選手のコンディショニングに特化したPTとして日本代表をサポートするその信念が評価されジュビロの母体、ヤマハ発動機のスポーツ振興財団から助成を受けている。