プラハの冬に奏でたリトル・モーツァルトの終演
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小学生の低学年代からスパルタ・プラハのアカデミーで育ち’98年ハシェックと入れ替わるようにトップデビュー。2001年にはドルトムントへ移籍してしまったボスマン判決以降の世代。それでも
十年間ア-セナルで過ごした“リトル・モーツァルト”はハシェック同様’17年にプラハで臙脂のユニフォームを着て現役最後の試合に臨んだ。
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あの日あの時は◼️2017年12月3日HETリガ第16節ACスパルタ・プラハ対FKムラダー・ボレスラフ。カバー写真は同日のマッチデー・プログラム。ヴァルタヴァ川を26号線のトラムで越えると右斜め、目の前線路沿いにスタジアムが現れた。師走のプラハ、その寒さを証明する写真、屋根にオレンジ色の列を成しているのは遠赤外線暖房機器。プラハの春は約半年で鎮圧されたがプラハの冬は毎年厳しい寒さかやってくる。
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この当時の名称はゼネラリ・アレナ。’22年から現在は大手エネルギー持株会社EPHグループのEPETがネ-ミングライツを取得している。同社は主にプラハの電力・ガスの供給を行っている新進企業。そしてEPHグループの総帥は同国の大富豪ダニエル・クレティンスキ:Daniel Křetínský【1975年7月9日生】。スパルタ・プラハの共同オーナーでもあり、’23年にフランスのフナック・ダルティ:Fnac Dartyの筆頭株主に。’24年には英国の郵便サービス《ロイヤルメール》の買収を計画、昨年株主総会で承認されたと現地では報じられた。英国といえばプレミアのウェストハム・ユナイテッドにも出資して27%の株式を保有しているのがクレティンスキ氏。
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試合は3-0のスコアでハーフタイムに。そして後半17分ピッチには背番号十のレジェンドが登場する。更には十分後には背番号九のタル・ベン・ハイム:Tal Ben Haim【1982年3月31日生】を投入。ロシア大会予選で敗退したイスラエル代表チ-ム。前年(16年)9月テルアビブではイタリアに1-3の完敗。一子報いたのがこのベンハイム。名手ジャン・ルイジ・ブッフォン:Gianluigi Buffon【1978年1月28日生】が守るゴールに突き刺した。
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試合後の笑顔は誌面で見た十九歳当時と然程変わらない。隣は
元トルコ代表のセミフ・カヤ:Semih Kaya【1991年2月24日生】。このシ-ズンにトルコのガラタサライから完全移籍。
この時は同僚でも2014年10月のUEFAチャンピオンズリ-グの
D組ロンドンで対戦している。(試合は4-1でア-セナル勝利)
それから三週間後にロシツキが電撃引退宣言。ア-セナルU21での四試合も含め英独と母国の三クラブでの計五百十五試合の現役生活。そのラストゲ-ムとなるFKムラダー・ボレスラフ戦の雄姿をカメラに収められたのは幸運。翌朝ロンドン行きを早朝便にして、空港で夜明けを待ってでも足を運ぶ価値があった。
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