5〗Eduard Streltsov Stadium / モスクワ

中盤の右には10番セルゲイ·ゼニオフ:Sergei Zenjov【1989年4月20日生】がスタメン出場。エストニアのパルヌ出身。この街はラトビアとの国境に近いバルト海のリゾート地。息子が小学生時代に家族で暮らした市川市とは姉妹都市。

三月加入したゼニオフはロシアの水があわなかったかシーズン終了後アゼルバイジャン·プレミアリーグへ。
国外でプレーしたのは08年ウクライナのFCカルパティ·リヴィウ。同年エストニア代表に選出されると2009-10シーズンのUEFAヨーロッパリーグ本選に出場。リヴィウの他にディナモ·キーウ(当時はキエフ)、メタリスト·ハルキウ、そしてリヴィウとウクライナのクラブが三チーム顔を揃えていた。

エストニアの若きウインガー、欧州の激戦地へ

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ホームでのドルトムントの初戦は鮮明に記憶が蘇る。ゼニトフと同じく21歳の香川真司:Shinji Kagawa【1989年03月17日生】もUEFAコンペティションでのデビュー戦。0-2から左翼ゼニトフのアシストで一点を返すと更に逆転。しかしドルトムントが牙を向いたのは終了三分前。同点に追いつくとアディショナルタイムに逆転しシーソーゲームを制した。同点にされた八分後香川がロベルト·レヴァンドフスキ:Robert Lewandowski【1988年8月21日生】と交代したのに対しフル出場したゼニトフは二節パリサンジェルマン戦、三節セヴィージャ戦にも途中出場。それにしても今振り返るとこのグループJの顔ぶれ、本当にヨーロッパリーグだったのか。


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この日ウーゴが二回のPKを何れも成功させ3-1の逆転勝利。ウラルは前半にゴールキーパーが退場となり数的不利に泣かされての敗戦。この勝利で最終節に一縷の望みは残ったもののウラルが勝利して入れ替え戦に。残念ながらトルペドは15位のまま自動降格となった。

モスクワの二大国際空港 ヴヌコヴォとシェルメチボ

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東京には空港が二つしかないのでオーバーツーリズムに頭が痛い現状。ニューヨークやモスクワは三つの空港がある。怪しげなシャトルバスに積め込まれて向かったモスクワ郊外のヴヌコヴォ国際空港。ウクライナ侵攻後もインフラ整備は手を停めることなく空港線地下鉄駅が開業したのは’23年9月。市内地下鉄改札前では大きな荷物を背負っていると空港等と同じく金属探知機によるチェックを強いられる。最初は面倒に感じたが、これで治安が保たれるならと喜んで応じるようになる。


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以前は日本からモスクワへの移動といえばシェルメチボ空港。同空港に設置された大型スクリーン。フッキがゼニト·サンクトペテルブルクに在籍いていたならば2016年以前に撮影したのは間違いない。五日後にワルシャワで開催されるUEFAヨーロッパリーグ決勝戦を控え、モスクワからサンクトペテルブルクは空路ながら、その先陸路でポーランドへと向かった些か過酷なスケジュールは忘れ難い。この年ワルシャワで決勝に駒を進めセヴィージャと対戦したのは伏兵ウクライナのドニプロ。八強にはキーウも名前を連ねた。
十年前、前述のリヴィウ、ハルキウ、ドニプロ、そしてキーウ。ウクライナ地図を拡げ各都市の位置を指させる日本人が果たしてどれくらいいただろうか。テレビを見ない筆者でもこの五年間、ウクライナの地図が連日テレビ画面に表示されたことを知らぬはずがない。


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今月四日フッキが自身の挙式の様子をインスタグラムにあげていたから前途を祝福。それにしても若い新婦は前妻の姪だから五年前に物議を醸したのも当然。先日居酒屋で隣の席で意気投合したオバさんが再婚をすすめてくる。筆者の年齢を勝手に勘違いしている様子。実年齢を伝えたら目を剥かれた。

M-1グランプリで思い出す叙々苑の焼肉

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離婚してから十年以上経過し、その後独り暮らしやら二人暮らしの時期もあったが、無くて困らないのがテレビジョンという電気製品。先程テレビを見ないと書いたが正確にはテレビがない。TV番組を気にしない日常でも先月M-1グランプリが記念すべき20回目を迎えたと聞いて些か感慨に耽る。
’08年6月から八年間の浦安生活(住所は市川市)オートバックス社の社長を務めた湧田節夫:Setsuo Wakuda【1948年生】氏は、当時歩いて五分にお住まいのご近所さん。息子は小学校に入学と同時に地域の少年サッカー団入り。OB保護者のボランティアで運営しており涌田さんは会計担当。