no-image

78〗Dalymount Park / ダブリン


◆◆◆◆◆

写真で主将章を巻くのはグレン·デイヴィッド·ウィーラン:Glenn David Whelan【1984年1月13日生】。ダブリン中心部からは西​​に約10kmほどのネイバ-フットであるクロンドーキンの出身。一昨年で現役生活にピリオド、プレミアリ-グの出場試合数276A代表のキャップ数も91を記録した。ウィーランの現役時代のスタイルを一言で表すならばポジショニングの達人。試合展開を読む状況判断力に優れ、ディシプリンを保ちタスクを達成する勤勉さとそのリーダーシップを備えた守備的ミッドフィルダ-。激しいタックルでボ-ルを奪うタイプではないが、頭の中身で勝負するタイプで玄人受けする。相手が格下ならばウィーランの存在は然程重要ではない。その真価を発揮するのはオランダのようにポゼッションで圧倒してくるチ-ムとの試合。下写真は2008年から17までプレ-したスト-クシティでの最終シ-ズン。あらためて思ったのはこのタイプの選手の重要性に気づいたのは92年の日本代表。現在の日本代表監督を率いる森保一:Hajime Moriyasu【1968年8月23日生】監督の現役時代のプレ-だった。現在ウィーラは英二部ウィガン·アスレティックのコ-チ職に就いているが、将来ナショナルチ-ムの指揮を執る日が来るのかもしれない。

◇◇◇◇◇

◆◆◆◆◆

この16年の試合でオランダを指揮したのはダニー·ブリント:Danny Blind【1961年8月1日生】。しかしダブリンから送られてきた映像で、左側に座るファン·バステンのほうが気になるのは仕方のないところ。

◇◇◇◇◇

受け継がれるアイルランドの名曲『ダニーボーイ』 

◇◇◇◇◇

’86年にスパルタ·ロッテルダムからアヤックスに加入しておりクーマンよりも二歳年長ながら、代表チームで脚光を浴びるのは’90年代表に入ってから。’80年代前半は、全国的には無名のグリーンボーイ、まさしくダニー·ボーイだった。
2008年にはダニーの息子がアムステルダムデビューするのを幸運にも観戦。この時のアヤックス監督ファン·バステンが古巣を任されたのはこのシ-ズンが唯一。オランダ語ならばダレ-、英語ならデイリーのブリントジュニア:Daley Blind【1990年3月9日生】は当時十八歳。マッチデープログラム見開き頁で紹介され、見守る両親の姿も紹介されている。

◆◆◆◆◆

◇◇◇◇◇

現在はジローナの真っ赤なウェアに袖を通しており、真ん中にはカタルーニャのダウラ ダム:DAURA DAMM を添えた。それにしても最近のダレ-がかつての親父さんに似てきた。
時間は誰に対しても平等に経過する。数々の歴史を刻んだダリーマウント·パークも新スタジアムに生まれ変わる日が来る。
◇◇◇◇◇

日本では震災チャリティーマッチのBGMとして、長居スタジアムで美声が流されたケルティックウーマン。
◇◇◇◇◇