誰もが素直に「面白い!」と思える選手の個性が尊重されるサッカー。
継続して<4-4-2>(現在の<4-3-1-2>)を採用し、トップ下にはフランス代表のヨアン・ミクー、ブラジル代表のジエゴ(現・フラメンゴ/ブラジル)、ドイツ代表のメスト・エジル(現・アーセナル/イングランド)といった古典的ながらも魅力的なファンタジスタを置く。
見栄えの良い華やかな攻撃サッカーで2004年にはブンデスリーガ優勝まで成し遂げたヴェルダー・ブレーメン。
ドイツ中だけでなく欧州やここ日本でも多くのファンを作ったチームだったが、エジルが去った2010年辺りからタレントの限界と時代錯誤の攻撃偏重の戦術を露呈して低迷。
今季も開幕直後に監督交代があり、第20節の段階では僅か4勝。その時も4連敗中で2度目の監督交代が起きそうな2部降格へまっしぐらだった古豪。
それが第21節から9勝2分の11戦無敗を続け、UEFAヨーロッパリーグ出場権獲得も狙える6位まで急浮上。完全復活した古豪はその攻撃的なスタイルも痛快なまま、スポットライトの当たる場所へ帰って来た!
知将シャーフと3大ファンタジスタの競演で一世風靡
1999年、Bチームの監督から昇格し、直後にDFBポカール(ドイツカップ)優勝を成し遂げた、知将=トーマス・シャーフ監督。2013年まで指揮を執った彼の下で、ブレーメンは2003-2004シーズンのブンデスリーガ優勝と3度のDFBポカール優勝を飾っただけでなく、「ブレーメン=攻撃サッカー」というタイトル以上の大きなブランドイメージを獲得した。
ただ、ドイツが育成年代の改革に国家として取り組んだ成果により、ブンデスリーガは近代化され、シャーフとブレーメンは取り残された。
また、ブレーメンはバイエルン・ミュンヘンとのタイトルレースやUEFAチャンピオンズリーグ(以下、CL)への出場権獲得を継続するため、CL出場による莫大な放映権料を前シーズンから予算に組み込む無理な大型補強と豪華なチーム編成を続けた事で、CL出場権を失うたびにチームの経営面での危機が生じた。
ミクー、ジエゴ、エジルと3代続いた時代を象徴するようなファンタジスタタイプのトップ下の華麗なMFも、時代の流れでこのポジション自体がリストラ対象となり、タレント発掘の限界も露呈するようになった。
そして、リーグとカップの2冠を制した2004年からの7年間では1シーズンのリーグ戦の平均得点が73.4得点だった得点数の多さでカバー出来ていた失点の多い守備の脆弱性は、徐々に得点(2011年以降は50得点が最高)よりも失点数が上回るようになり、ブレーメンは完全に低迷。
2013年にシャーフ監督が辞任を表明し、14年続いた長期政権を終えた頃には一時代の終わりとなり、タイトルの代わりに“古豪”の冠がつくクラブとなった。
過去と現代を繋ぐヌーリ現監督~アップデートされたブレーメン流攻撃サッカーとタレント
シャーフの退任後、フライブルクで実績を積んだロビン・ドゥットやシャーフ時代の黄金期を現役選手として過ごしたOBヴィクトル・スクリプニクも今季開幕直後まで指揮を執り、常にクラブの伝統である攻撃的なスタイルは貫いたが、2011年以降は6年で5度の1シーズン60失点越えではさすがに残留争いの方が常連となりつつあるチームとなった。
そして今季開幕直後にU23チームからトップチームの暫定監督へと昇格したのが、現指揮官のアレサンダー・ヌーリだった。
彼はブレーメンのOBだが、ブレーメンでは活躍の場は少なく、現役時代の大半は下部リーグでプレーした苦労人だ。そんな彼はシャーフが去った1年後の2014年にブレーメンに復帰した。
その時に与えられた役割は、当時のトップチームのドゥット監督とU23チームのスクリプニク監督という2代続く事になる両方の監督のアシスタントだった。
クラブの伝統は継承しつつ、弱点を修正するための情報を現場でしっかりと見ていたヌーリは正式に監督に就任。すでに過去7年で最多となる52得点を挙げ、ブレーメン流の攻撃サッカーを継続するだけでなく、現代版にアップデートした。