Foot ball Drunker〔160〕visiting『 Bosuil Stadion 』アントワープ/ ベルギー

このシーズン開幕戦はKVコルトレイク相手に2-1で勝利したヘンク。3トップの両翼は右に伊東 純也:Junya Ito:【1993年3月9日生】。左からピッチ切り裂いたのはマヌエル。
ところが9月2日ロイヤル·アントワープへの電撃移籍。12節10月26日ボサイル·スタディオンで移籍後初スタメンの相手は今季二度目の顔合わせとなるKVコルトレイク。
前半はスコアレス。後半開始直後のPKでアントワ-プ先制。7分後に追加点をアシストしたマヌエルも勝利に貢献。残り10分を過ぎたところで三好もピッチに。現在は共に英国でプレーしているが三部のバーミンガムが二部復帰すれば、一時ピッチ上での旧交を温め合えるのだが。


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アントワープのクラブチームはロイヤルと南部のKFCOベールスホット。かつて川島永嗣:Eiji Kawashima【1983年3月20日生】が所属したリールセからは隣のリール市。しかし列車の到着時間示すとおり、リールからアントワープ中央駅は僅か20分。

1928-29シーズンにスタジアム所有者との紛争が勃発、一時的ではあるがベールスホットの競技場への移転を余儀なくされた事がある。当時英国=商業スタイルのプロフェッショナリズムの採用を強く主張したスタジアム側と1923年アンリ·エレバエル:Henri Elebaers【1883年2月20日生-1948年8月2日没】会長が復職し連邦規則に従いアマチュアリズムを継承する非営利団体であるクラブ側の意見が真っ向から衝突しての騒動。


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三好とマヌエルより一年遅れてアトロミトスからニル·デ·パウ:Nill De Pauw【1990年1月6日生】。U21代表はベルギー、A代表はコンゴでプレーしたウインガーがポジション争いに加わる。キンシャサ生まれで2000年からロケレンのユース·アカデミーで学び2008年に同クラブでトップデビュー。
ロケレンはアントワープから西に40キロ弱、列車で30分強で着ける街。実はマヌエルはロケレンの出身。父親ホルヘ:Jorge
Hedilazio【1974年12月17日生】も’90年代前半はロケレンでプレーしたアンゴラ代表のミッドフィルダー。
マヌエルも中学年代から四年間(2003-2007)ロケレンのアカデミーに所属していた。


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2014年8月16日。ジュピラープロ第四節はロケレン対リールセ。
途中出場とはいえプロ二戦目となる17歳のマヌエルにとって感慨深いものがあったとその胸中を察する。この試合ロケレンの右サイドはウィンガーにデ·パウ。サイドバックには背番号3デニス·ロドイ:Denis Odoi【1988年5月27日生】が勝者に。

2012年にはベルギー代表監督マルク·ヴィルモッツ:Marc Wilmots【1969年2月22日生】から招集されモンテネグロ戦にスタメン出場しているがその後は音沙汰無し。十年を経た22年からガーナ代表に鞍替えして年明けのアフリカ·ネーションズ·カップに出場しているのがロドイ。