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ポルトガル戦、チェコ戦と続けてイエローを出されてオーストリア戦は出場停止となったから休養充分。コンディションは良いはず。それにしてもチェコ戦で途中出場二人、ベンチで控えの一人も含め計11人に黄色の警告が提示されたからトルコらしい。
二点リードした展開で同じく出番がなかったのはストライカーのジェンク·トスン:Cenk Tosun【1991年6月7日生】。チェコ戦では残り15分でピッチイン。アディショナルタイムにカウンターからのゴールでベスト16進出の立役者に。
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ドイツ·ヘッセン州ヴェッツラー出身。アイントラハト·フランクフルトのユースで育ち、2010-11年のU21代表は、国章のアードラー(鷲)のエンブレムが縫い付けられたユニフォームが手渡された。
思い起こせばワールド杯カタール大会予選。21年3月の初戦で本命オランダがトルコに衝撃の四失点完敗。第148話はこの試合が開催されたアタテュルク·オリンピヤト·スタドゥ。同国最大のスタジアムを使用しながら実は無観客試合。
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1997年に着工。約5年もの歳月を費やしワールド杯日韓大会大邱スタジアムでの3位決定戦から32日後に行われたオープニングゲーム。ガラタサライの相手としての招いたのはギリシャの強豪オリンピアコス。日韓に限らず歴史的因縁を引きずる隣国対決は熱くなるのは必然。7万9千人の大観衆が見守る。
トルコ建国の父、その名を冠するのは蹴球場だけではない。イスタンブール市内には図書館もあるし文化センターもある。しかし誰もがまず思い浮かべるのは空の玄関。
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第一次大戦後トルコ軍を率いてギリシャのオスマン侵攻を防ぎ、1923年の建国へと導いたムスタファ·ケマル·アタテュルク: Mustafa Kemal Atatürk【1881年5月19日生- 1938年11月10日没】はテッサロニキの出身。現在ギリシャ第二の都市にはトルコ領事館と並びアタテュルク博物館もある。
2011年5月、トルコ最大の都市で署名された『女性に対する暴力と家庭内暴力に反対する人権条約』は、イスタンブール条約の名前で知られている。
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然し2021年3月本条約から離脱。言い出しっぺが踵を返す。政教分離を国是にアタテュルクは政策を進めた。教育では男女共学を、1929年にはトルコ初の女性裁判官誕生もその一例。女性の参政権を実現するなど脱イスラム化を成し遂げた。アンカラの霊廟に眠るアタテュルクは現在の惨状に何を思うのか。[第148話了]