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結果こそスコアレスドローに終わったとはいえその安定したプレーは二部レベルで頭ひとつ抜け出していたベローナ。
この日格上相手にゴールを死守したのはサミル·ウイカニ:Samir Ujkani【1988年7月5日生】。昨年エンポリとの契約を満了し現役生活にピリオドをうつ。現在はコソボ代表のスポーティング·ディレクターを務めている。スペツィア・カルチョとの開幕戦、ゴール前に立ったのは新顔のアドリアン・シェンペル:Adrian Semper【1998年1月12日生】。ロコモティヴァ・ザグレブ在籍時に見たときは19歳ながらU21クロアチア代表に招集されていた。
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2017年5月ブダペスト市のタバコ屋でイタリアより遅れて発売されるガゼッタを購入する。ユヴェントスのUEFAチャンピオンズリーグ決勝進出の話題が紙面を大きく割き、その片隅で同日ガットゥーゾ監督率いるピサの三部レーガ·プロ降格が決定した記事を目にした。その直後に古巣ACミランのプリマヴェーラを任されると半年後にはトップチームの指揮官へと出世した。’19年に退任すればその年暮れにはSSCナポリからのオファ-で監督就任と元闘犬の手腕に対して国内での評価は高い。このシーズンのインザーギは三部レーガ·プログループBのヴェネツィアを優勝へと導き翌シーズンのセリエB昇格とピサとは真逆の結果に。
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ピッポをサンシ-ロで初めて観たのは14年12月14日。セリエA15節はラファエル·ベニテスRafael Benitez Maudes【1960年4月16日生】のナポリとの対戦。ガゼッタ紙が取り上げたのはUEFAチャンピオンズリーグでの因縁。アテネオリンピックスタジアムでの決勝はACミランが2―1で勝利。通算七度目の優勝を飾り、二年前イスタンブールの雪辱を果たした。リヴァプールの指揮官はベニテス、ACミランは一歳年長のアンチェロッティ:Carlo Ancelotti【1959年6月10日生】。二得点はいずれもインザーギがネットを揺らしている。
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カバ-写真のファイルコピーは1987年9月13日のセリエA開幕戦。青黒縦縞のドゥンガと赤黒縦縞のアンチェロッティ。
1981年にA代表デビュ-した現レアルマドリーの指揮官。プレーヤーとしての全盛期は全四試合にフル出場しベスト4進出に貢献した’88年のUEFA欧州選手権。90年のワ-ルド杯ではベンチを温めている時間が長かった。92年に怪我を理由に33歳にして引退を決意。
一方ドゥンガはこの年の5月A代表初招集。コバアメリカでは出番なく代表に定着するのは90年代。
現役時代のアンチェロッティのリーダーシップと闘争心でチームを引っ張るタイプ。スピードや身体能力で劣るものの、勤勉で粘り強い性格が守備面で活かされておりボール奪取率は抜群。攻撃面では視野の広さとエリア外からの正確なシュートが持ち味。
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日本で披露されたのは89年のトヨタカップ=ナシオナル·メデジン戦の一度のみ。本来は8番を背負うプレーヤーだったろうに、そこにはフランク·ライカールト:Frank Rijkaard【1962年9月30日】がいたからアンチェロッティは10番を背負い高い位置に構えた。この試合は残念ながらTV観戦。結局“生”でそのプレーを見る機会はなくジュビロ磐田時代のドゥンガのプレーを観ていた頃は、アンチェロッティの姿と重ねていた。