国連特別代表としてザグレブでの活動を統括した日本人
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ヨーロッパ共同体=ECがユーゴスラビアからクロアチアの独立を承認したのは1992年1月15日。都内に駐日クロアチア大使館が開設されたのはJリーグ開幕と同じ翌93年。同年11月国連平和維持活動=PKOの最高責任者に任命されたのが明石康:Yasushi Akashi【1931年1月19日生】氏。ザグレブの国連防護軍本部に駐留し’95年11月の撤退まで職務を全うする。その後紛争終結に向けて北大西洋条約機構(NATO)率いる多国籍軍が主導権を握る展開となり、セルビアを悪者にしたいアメリカが、中立はセルビア寄りと国連を批判した。それでも欧米西側大国相手にも屈することなく国連の掲げる人道·中立·公平を最後まで貫き証明した功績を果たして何れ程の日本人が知っているのだろうか。
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列車が着いたのはグラヴニ·コロドヴォル
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前回に続いてのイヴァン·ラリャク·イヴィッチ:Ivan Laljak-Ivić Stadium。あの日あの時は◼️2017年12月8日HNL第節インテルザプレシッチ対HNKツィバリア·ヴィンコヴツィ戦。金曜のナイトゲームに観衆僅か120人程度のスタンドとベンチの選手が毛布をかけて下半身を冷やさないよう努める写真は前回既に掲載している。羽田空港でも最終便が遅れ、公共交通機関の終電を逃した旅客に水が配られ同じような毛布が貸し出されていた。
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クロアチアの男性の名前で多いLUKAは港を表す。空港は空を頭につけてズラチュナ ルカ=Zračna luka。欧州を旅していると、各国の言葉で挨拶すらできなくても、自然に覚える単語がこの空港と中央駅。このStazione Centrale=スタッツィオーネ·チェントラーレは英語に似ていて駅だと判断できるがGlavni Kolodvor=グラヴニ·コロドヴォルと案内表示されても判るのは文字の横には列車の絵をつけてくれているから。
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どちらが美味い タルトゥーフォとタルトゥフ
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カズがクロアチアに移籍したのが’99年。ブラジルで長く過ごしているから同じラテン系のイタリアは馴染みやすかったとして、スラブ系のクロアチアでは其なりに苦労されたはず。但しクロアチアといっても、西の海岸側とザグレブのある東側は些か趣が異なる。前回地中海の食事にふれたがワインに生ハム、チ-ズ、オリーブ油と聞けば、フランス、イタリア、スペインの南欧をイメージする食材に、クロアチアと共通する名産品としてここにトリュフも加えたい。食文化の面ではかなり共通点の多い両国。トリュフはフランス語だがイタリアではTartufo:タルトゥーフォと発音しピエモンテ州、トリノとジェノバの中間あたりが名産地。一方クロアチアならば、アドリア海沿岸、イストラ半島で高品質のタルトゥフが採れる。メニューに目をとおしタルトゥーフォとタルトゥフならばどちらもトリュフだとわかる。
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クロアチアとイタリアの結びつきを紐解く中で欠かせない人物がイタリア王国トリノ出身のトミスラヴ2世。第二次大戦中、ドイツ·イタリア軍がユーゴスラビアに侵攻した際、傀儡国家クロアチア独立国を創設した。しかしイタリアが白旗をあげて呆気なく消滅。短い間ではあるが独立国は存在し日独伊三国軍事同盟にはクロアチアも含まれていた。最もこの二世は、ヘタレで結局フィレンツェに引き籠り動こうとはしなかったのだが。
前回取り上げた仲良しトリオのひとり、ザプレシッチへ十二年ぶりに戻ったフルボイェ·カレ:Hrvoje Cale【1985年3月4日生】がスパイクを脱いだラストゲームは17年4月26日のHNKツィバリア戦。この日の試合も二百人に満たない観衆。余りにも切ない数字が国内リーグの峻厳な現実を物語る。