コロンビア出身のコルドバは’17年にマインツから約千五百万ユーロの移籍金で獲得した大型ストライカー。この2018-19シーズンは、ブンデスリーガ二部で得点ランキング二位となる二十ゴールを記録。最短でのブンデスリーガ一部復帰へと大きく貢献する。ちなみに得点王は29ゴールをマークした同僚のシモン·テローデ:Simon Terodde【1988年3月2日生】。この日も得点を決めて責務完遂。シャウブと交代してベンチに下がっている。’20年まで在籍し三十七得点を記録するとヘルタ·ベルリンでドイツでの生活に六年で終止符をうつと’21年に向かったの新天地はロシア南部のクラスノダール。
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上写真はCSKAモスクワ戦を撮影しており身体能力で相手を圧倒するど迫力のプレーは相変わらず。コロンビア代表に招集されないのを不思議に思いながらフレームに収めた。’23年11月のFIFAワールド杯予選ホームでのブラジル戦では三十歳にして、遅咲きの代表デビュー。昨年の南米選手権コパアメリカでは初戦こそ途中出場ながら二戦目コスタリカ戦 で1G1Aと結果を残し、そこからすべてスタメン出場。先々月のアウェーブラジル戦でも健在ぶりを披露。風の噂ではウクライナ侵攻当初ロシア国外の移籍を本人は希望しているとも聞かれたが現在も在籍。クラスノダールとの契約は’27年まで。その頃には終戦を迎えているのだろうか。
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大聖堂を眺めケルシュで喉を潤す至福
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ノルトライン=ヴェストファーレン州。州都デュッセルドルフ以外にも、ケルン、ドルトムント、デュイスブルグと大都市が犇く。ケルンに行ったのだから先ずはケルシュで喉を潤す。変換ミスで「蹴る酒」となるからフットボール通が好みそうなこのビール。その醸造方法はケルン地方独自のやり方。上面発酵の酵母を使用して下面発酵並み(10℃以下)の低温で熟成させているからピルスナーとエール、両方の良い所どりの麦酒が出来上がる。駅の目の前は観光客で混雑しており空いたテ-ブルに腰かけて、世界最大級のゴシック様式建築物を見上げる。荘厳な大聖堂を前にシュタンゲと呼ばれる200mlの円柱グラスでケルシュを味わえばドイツを満喫した気分に。
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スタジアムは中央駅からはおよそ七キロの距離。駐車場はあっても毎試合五万人規模の大移動だから渋滞は避けられない。ここはアーヘナー通り沿いに低床車両のトラム線路=公共交通機関の利用をお薦めする。
2006年のFIFAワールドカップに向けての新スタジアム構想。設計は1965年設立の大御所ゲルカン·マルク·アンド·パートナー社が任された。創設者はマインハルト·フォン·ゲルカン:Meinhard von Gerkan【1935年1月3日生-2022年11月30日没】とフォルクヴィン·マルク:Volk win Marg【1936年10月15日生】。二人のイニシャル=gmpの略称で世界的に知られており、欧州だけでなくアジアならば北京·上海での仕事が際立つ。
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さて、UEFAヨーロッパリーグで勝利の女神から溺愛されているクラブといえばセヴィージャ。感染拡大の影響で2020年8月は無観客試合となってしまったから、記憶に薄いもののインテルを3-2で下したのはこのスタジアム。’15年5月にワルシャワでウクライナのドニプロを下して連覇を成し遂げたのもセヴィージャ。その時のファイナルはポーランドの国立競技場。は、2008年に着工したこのスタジアムの設計もgmp。
更に付け加えるならば、2010年ワールド杯南アフリカ大会の準決勝、スペイン代表がドイツ代表に勝利したダーバン·スタジアムもgmpの設計。なるほど、どうやらスペイン人に追い風が吹く構造に設計されているのがgmpのスタジアム。’11年に完成したブカレストのスタディオヌル・ナツィオナルもgmpの作品。翌年UEFAヨーロッパリーグを制したのはスペインのアトレティコ·マドリー。但し対戦相手も同国のアスレティッ·ビルバオだったからこの時ばかりはジンクスもへったくれもない。
筆者がケルンを初めて訪問したのは約十六年前。ヴァルラフ·リヒャルツ美術館の前には夏服の中年カップルの姿。ケルンの大司教フェルディナンド·F.ヴァルラフ:Ferdinand Franz Wallraf【1748年7月20日生-1824年3月18日没】が自身のコレクションをケルン市に寄贈、2001年からこの煉瓦壁の美しい建物が美術館としてオープンしている。’09年の8月まで開催されていた展覧会のタイトル&テ-マは「月」。エドワール·マネ:Edouard Manet【1832年1月23日生-1883年4月30日没】の名画『ブーローニュ港の月光』:1869年作(オルセー美術館所蔵)や1969年のアポロ11号宇宙飛行士が月面着陸した際の写真が展示されていた。ヴァルラフは数学者、植物学者 大学の副教授も務めた教育者でもありコレクションを寄贈するにあたって遺言には「芸術と科学の利益のために」と書かれていたから、この展覧会の企画にも納得させられる。
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