その過程では、加茂監督が日本代表監督就任前に指揮していた横浜フリューゲルスの主将としてプレーしていたMF山口素弘さん(以下、モトさん)が最初に代表に呼ばれてチームの中心となるボランチで先にプレーしており、名波さんのボランチコンバート後のパートナーとして共に試行錯誤していたのも良かったのかもしれません。モトさんと名波さんが悪戦苦闘した中で出来たチームのベースに、満を持して中田英寿が加わるという順番もまた良かったと言えます。すでにヒデさんが活きる土壌が出来ていたのですから。
W杯予選時は4-4-2のフォーメーションを使う際にはトップ下や2列目として“きーちゃん”こと北澤豪さんが豊富な運動量を活かして攻守共に名波さんやヒデをサポートする時期もありましたが、中盤の構成としては、やはりこの山口素弘-名波浩-中田英寿の3人。名波さんは外見からしてクールに見えますが、ドゥンガの影響もあって試合後には声が枯れるぐらいコーチングをする事もあるそうで、クラブでキャプテンマークを巻いていたモトさんや、歯に衣着せぬ物言いでも有名なヒデさんも含めて、この3人はピッチ上でよく声を出す選手達です。しかし、この3人の間ではほとんどピッチ内外で声を掛け合った事がないらしいです。それだけ3人はパスに対する拘りやゲームメイクの感覚が共通しており、徹底されていたという意味では“奇跡のトライアングル”だったと言えるんではないでしょうか?
欧州サッカーフリークとして知られるモトさんが現役時代に憧れていた選手は、“ドリームチーム”と言われていたヨハン・クライフ監督が率いていた当時のバルセロナのピボーテとしてプレーしていたペップことジョゼップ・グアルディオラ。モトさんは現役引退後のS級指導者ライセンス受講時の海外研修先もペップが率いていたバルセロナで受け入れてもらっていますからも、その心酔ぶりはわかると思います。
バルセロナの“ピボーテ”とはポジション的には1ボランチを指しますが、攻守共にポジショニングのセンスが何よりも問われている事と、後方からの攻撃の起点としてのプレーが特徴的です。それらを1人でこなす事がモトさんのプレースタイルの目標地点であるため、代表でボランチへコンバートされた名波さんとしては、モトさんのピボーテとしてのプレーを尊重したり、任せられる部分は任せて、足りない部分は補う。そして、攻撃の柱となるヒデさんをサポートしたり、並ぶ事でマークを分散させたり、などなど。こうして、名波さん独自の“2.5列目”という新たなプレースタイルが確立されていったのです。
名波さんにとっての”日本代表”とは? パスと組織で崩すサッカーの難しさを楽しめる
その“奇跡のトライアングル”で挑んだ1998年のフランスW杯では、アルゼンチン代表(0-1)、クロアチア代表(0-1)、ジャマイカ代表(1-2)相手にグループリーグ3戦全敗に終わりました。しかし、“奇跡のトライアングル”は世界相手にパスワークの精度とテクニックの高さを披露しており、ヒデさんは大会直後にイタリア1部リーグのペルージャへ移籍。初年度から年間10ゴールを記録して、その後は“優勝請負人”と言われる名将・ファビオ・カペッロ監督の率いるASローマへ移籍してリーグ優勝を経験。名波さんもフランスW杯の1年後にイタリア1部リーグのべネツィアでプレーする機会を得たのは、3戦全敗で終わったW杯でのプレーが評価されていたからでしょう。
そんな名波さんが日本代表とはどういった存在か?と問われた際、
「仲間のことを考え抜いたら、結局は自分自身が活かされている。そういう組織が日本代表で、だから試合を重ねるたびに強くなれるんだと思う」
と語っていたのは、この“奇跡のトライアングル”の結成の事なのかもしれません。その上で、
「日本代表とは日本で1番サッカーの楽し方を知っている選手たちで構成されていて、パスと組織で相手を崩すサッカーの難しさを分かった上で、それを楽しめる存在であった欲しい。選ばれた選手達には、そうそう呼ばれる場所ではないので、もの凄いプレッシャーを味わいながら最高に楽しめる。”楽しさ”の表現方法は人それぞれでも、その個性が何より楽しいと思える感覚を持って、苦しいからこそ楽しんで欲しい」
と語っていました。少し、現在の監督しての名波さんの思考するサッカーのエッセンスも垣間見える言葉だと思います。
以上、次回は現役時代に名波さん拘ったパスや、理想のMF像を通して、監督としての名波さんが考えるサッカーについて読み解いて行きたいと思います。しばしお待ち下さい。