108〗Stadion Bilino Polje / ゼニツァ

地獄を経験した国と今地獄を生きる国

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1994年弱小だったSKシュトゥルム·グラーツの監督に就任したオシムは手塩に掛けてチームを国内屈指の強豪へ引き上げた。UEFAチャンピオンズリーグ2000-01シーズンにはガラタサライ、レンジャース、モナコとのグループリーグを首位で突破。2002年に退任して翌年来日した。オシム氏の祖国であるがゆえに、ボスニア·ヘルツェゴビナ代表を応援する日本のサッカーファンは意外に多いはず。筆者が特に肩入れするのは’16年のキリンカップ優賞からなのだが、この話は次回に続く。
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写真上は故人の同胞ユスフ·ガジベゴヴィッチ:Jusuf Gazibegovic【2000年3月11日生】。但しザルツブルクに生まれ昨季ドイツの1FCケルンに完全移籍した彼も暮らしたのはドイツ語圏まで。バルカン半島を知らないボスニア·代表。一昨年UNLハンガリー戦までは不動のレギュラーでアイスランド戦も左ウイングバックでスタメン。その後負傷が続きパフォーマンスも下がり今回のWC予選も九月のサンマリノ、オ-ストリア戦の二試合出場のみだった。最終戦のオ-ストリア代表との大一番でボスニアヘルツェゴビナ代表は左サイドにヴィクトリア·プルゼニのアマル·メミッチ:Amar Memic【2001年1月20日生】を配した。利き足が右のメミッチは一年前に加入して以来、UEFAチャンピオンズリーグ予選も含めた全試合右サイドでしか起用されていない。今月ケルンから慣れ親しんだ古巣にレンタルされた左のスペシャリストは、果たしてプレーオフまでに復調し代表に合流できるか、重要なポイントとなるはず。
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夢は分裂した旧ユーゴスラヴィア各国共催による平和のユーロ開催

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今では紛争後に生まれた選手達が代表でも目につく。最後の写真は青地に黄色三角形と星が並ぶ国旗を誇らし気にふる女性達。
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サラエヴォから七十キロほど離れたゼニツァ市。収容人数15,292人のスタディオン·ビリノ·ポリェが今回も予選会場として使用されている。オシムが人生の最期まで資金集めに奔走したサラエヴォ新スタジアム建設計画は未だ実現に至らない。それでも永久の平和を誓い旧ユーゴスラビアの各国共催によるUEFA欧州選手権開催が、いつの日か必ず実現すると誰もが願い続けている。〖第百八話了〗
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⏹️写真/テキスト:横澤悦孝 ⏹️モデル:N.Leko