映画祭と同い年のスタジアム 偉大なる教育大臣現る
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このスタジアムが完成した1932年はヴェネツィア·ヴィエンナーレから国際映画祭が派生している。’36年(第四回)から国際審査員制度を設けると映画祭の権威は高まる 37年8月10日には建築家ルイジ·クァグリアータ:Lugi Quagliata【1899年9月13日生-1991年2月14日没】設計によるパラッォ·デル·シネマが完成し第五回の幕が開く。当時の映画館の座席数は千席だった。それにしてもドイツやロシアが近代的な芸術を弾圧したこの時代にファシズムの国であるイタリアのみ逆行しているのは特異。この対極の文化芸術政策を打ち出したのがジュゼッペ·ボッタイ:Giuseppe Botta【1895年9月3日生-1959年1月9日没】その人である。イタリア学士院を創設したボッタイは著名な芸術家は学位や試験なしで大学教授職に就ける優遇措置を施した。’36年国民教育大臣に任命されると自然·景観美保護法など次々と政策を打ち出した。まず監督機関数を拡大し科学活動を推進。次に芸術的価値のある物品の輸入/複製/収集の規制。そして科学技術に基づいた修復研究所の設立である。また顕彰事業(ベルガ賞)を創設した。クレナモ賞に対抗したため保守派から攻撃を受けている。
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この年イタリア王国はアルバニアに侵攻し保護領にしているが、これはドイツがチェコスロバキアに侵攻したから、「だったら ええやろ」と便乗しての宣戦布告。
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