12〗Stadio Brianteo / モンツァ

ベルルスコーニはモンツァ買収当時今後、イタリア人の若手を主軸に才能発掘と育成に注力するとコメントしていた。生前アズ-リの弱体を嘆いており、ミランとは異なるコンセプトを強調していたはず。将来的には代表へ複数の選手を送り出せるクラブ目指すと公言。とは言ったもののまずは結果を出さなければ話にならず外国人頼りにならざるを得ない。理想と現実のギャップが生じるのは政治もカルチョも一般社会も変わらない。
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ボスマン判決以前のロッソネロは、外国人か得点してイタリア人で守り抜く、そんなイメ-ジが兎に角強かった。1992年に移籍金最高額の記録を更新してマルセイユから獲得したフランス代表のエース。’88年に欧州を制したオランダ人トリオの一角。旧ユーゴ=現在のモンテネグロが輩出した天才、そしてリベリアの怪人ジョージ·ウェア:George Weah【1966年10月1日生】。そんな中で唯一外国人枠に左右されることのない孤高のイタリア人ストライカーがダニエレ·マッサーロ:Daniele Massaro【1961年5月23日生】。エル·ドリーム·バルサを終焉へと追いやる伝説の’94UEFAチャンピオンズカップ決勝での二得点。前年のトヨタカップで来日。旧国立競技場では同点ゴールを決めており日本でも既にその名は知られていた。
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上写真は三十一年前のサッカ-マガジンでもこの試合の頁は保存してある。価格は430円なので2.5ユ-ロのガゼッタ、バラデンのアメリカンペールエールもほぼ同額。そのマッサーロが翌年34歳で清水エスパルスに加入。怪我に泣かされて引退を余儀なくされたが二桁ゴールは記録している。
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