30〗Stadio Artemio Franchi / フィレンツェ

あの日あの時で実際に取材した試合を選んだのは第三十話にしてなんと初めて。後に主将を務めたイタリア代表にも定着したこの日の決勝ゴーラーは二千十八年三月四日ウディネーゼ戦のために宿泊していた遠征先のホテルで就寝中に急死してしまった。 死因は心臓発作/心血管虚脱と発表されたがほんの数時間前はチームメイトと談笑していたらしい。セリエAは週末に予定されていたすべての試合の一括延期の措置を講じた。選手やクラブスタッフの動揺が落ち着く頃を見計らいウディネーゼとフィオレンティーナの試合が開催されたのは、ほぼ一か月後だったと記憶する。
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強い絆で結ばれた街と人とクラブと美術館

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2007年東京国立博物館での「レオナルド·ダ·ヴィンチー天才の実像。」展の目玉としてダ·ヴィンチ作《受胎告知》が日本に貸し出された。イタリアではアントニオ·ナタリーニ:Antonio Natali 【1951年生】館長が日本への移送に反対していると一部のメディアが報じ、“悪者”扱いされた事に慨然としてインタビューをする流れに。今思えば全国の書店に並ぶ美術専門誌での連載第一弾がこの記事となる。メディチ家がコレクションをトスカーナ公国に寄贈するにあたり、フィレンツェ市民の宝であってフィレンツェ郊外から持ち出さないと固く約束している。横紙破りを咎められるべき、恥を知るのは歴史に疎い日本人のほうである。


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似て非なるものが、2004年夏頃から欧州のビッククラブが日本のクラブと親善試合を行う来日興行。二十年を経て昨年は来日ラッシュとなり、今夏も既に複数のクラブが既に計画しているらしい。欧州クラブ側は日本での人気向上とグッズ売上増収が目的。日本のファン·サポーターからすれば、おらが街のクラブが世界と手合わせならぬ足合わせする“夢”を買う。但し協会やJリーグとは関係のない興行主=スポンサーが営利目的で開催しているのだからチケットが高額だと文句は言うのは筋違い。お客様が満足しているのであればケチをつける気もない。但しメディチ家のコレクションはアルノ川に架かるヴェッキオ橋を窓から見下ろせる建物で堪能するものだし、フィオレンティーナの試合を見るならば老朽化は否めなくともピエール·ルイージ·ネルビ:Pier Luigi Nervi【1891年6月21日生-1979年1月9日没】の初期代表作であるアルテミオ·フランキで、ヴィオラサポーターに囲まれてこそ本物の雰囲気を味わえる。


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この日の入場者数22.983人。シーズン平均の26,470人を下回るとはいえ、メインスタンド以外屋根のないこのスタジアムに大雨の中、足を運んでいるのだから頭が下がる。結局のところ、文化的な付加価値の大半は“人”なのである。ちなみに2005年にはレアルマドリーを味の素スタジアム、バイエルン·ミュンヘンを旧国立まで足を運んだが、レアル戦に比べバイエルン戦は良心的な価格だった。
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