69〗Stade de Genève / ランシー

引き潮の如く 故郷ポルトガルに帰還する人の波

◇◇◇◇◇

2008年のUEFA欧州選手権共催は先程述べたが、この年はリーマンショックから連鎖して世界的な金融危機に直面した恐怖の年。その結果スイスにはポルトガルから多くの労働者が流入している。専門職の高い技能を有していても、見合うだけの報酬を得られる仕事がポルトガル国内では見つからなかった十七年前。しかし近年ポルトガルの経済は回復しており、再生可能エネルギーなどの、次世代ビジネスの分野では急成長を遂げている。そこで政府は国民に帰還を促す政策を打ち出し始めた。’23年にはポルトガル国籍でスイスを離れる移住者の数は83%に達している。見上げると窓から多くの国旗が風に靡く風景。元来ポルトガル人は祖国愛が非常に深い国民性であるとは感じていたがこの数字には正直驚かされた。
◇◇◇◇◇


◆◆◆◆◆

そのポルトガル、スイスとは対象的に住む外国人の76%はEU加盟国以外の出身者である。言うまでもなくブラジル人が三割近くを占める最大派閥。移民労働者の3分の1以上が派遣契約となるが、これはポルトガル人の16%と比べれても圧倒的に多い。
ポルトガルは、外国人の雇用不安率がEUの中ではで四番目に高いデータが出ており、移民の三割以上が貧困生活と社会的排除に喘いでいるリアルな現状。ちなみにスイスでは高校年代から職業教育が本格的に始まるので移民の親から生まれた学生も優れた就労能力を身につけられる環境にあり就職率も高い。
◇◇◇◇◇


◆◆◆◆◆

繰り返すがジュネーヴは十六世紀、カルヴァン主導による宗教改革発祥の地。多くのフランス人から弾圧から逃れたる為、越境したプロテスタント達の聖地。しかし現在はジュネーヴ、バーゼル、チューリッヒなどの大都市のみプロテスタントが主流。スイス全体を見渡すカトリック信者が上回るらしい。いずれにしてもキリスト教の教会は公的に認められている。それに対して公式に認定されていないのは現在三番目に信者が多いイスラム教。スイス連邦の憲法では《信教の自由》そのものは保障されている。

◇◇◇◇◇

◆◆◆◆◆

写真はトルコ·イスタンブールのドーム型モスク。建物を囲み四方に聳えるのがミナレット。2009年最大与党、中道右派の国民党はこのミナレットの建設を禁止する国民投票キャンペーンを実施。何故に礼拝には不必要なミナレットを建てるのかというと「この地をイスラムが手中に収めた」とアピールする為。成る程、あの尖った形状は言われてみれば威嚇的。この憲法改正案、57%の賛同を得て承認された。ムスリム関係団体は欧州人権裁判所に訴えを起こしたが‘11年に却下されている。またミナレットほど国外では注目されなかったが重罪を犯した外国人の国外追放も採択されたのがこの年。
◇◇◇◇◇

1%に満たない僅差で法案可決 移民減政策を嘗試した勇気

◇◇◇◇◇
更に三年後の’14年には移民受け入れ人数を制限する法案が国民投票50.3%の僅差で可決され、移民抑制の機運が強まった。前(’13)年の時点で外国人居住者割合は23%。当時からEU加盟各国よりも頭一つ、いや二つ三つ抜け出していた。この新法のポイントは以下のとおり
1.外国人の移住は独自に規制する
2.外国人滞在の許可数を(状況により)制限する
3.外国人労働者の数は経済全体の利益に鑑みて決定する
4.雇用はスイス人を優先する
極めて当たり前の内容だが、日本の街頭で口にしたら「レイシスト帰れ」とコ-ルを浴びせられるのか。スイスは’70年代から移民の規制と管理について幾度となく議案にあげ、その都度国民投票を繰り返してきた。人口が一千万人に満たない同国が採用する直接民主制と日本は比較にならないが、ダイレクトに民意が反映するのは羨ましい限り。日本の外国人政策は柱となる”基本理念“はもちろん、現状を正しく把握したうえでの、戦略や計画も存在していない。一刻も早くスイスを参考に明確な自国の理念に基づく法案を制定しないことには、一歩も前には進まないのではないだろうか。〖第六十九話了〗
◇◇◇◇◇

◆◆◆◆◆