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プレス席に並べられた小さな机と椅子が小学校の教室を思い出す。以前は記者発表後フォト·ビブスを返却する際、「掃除はしなくていいの?日本では子供でも教室の掃除を自分でやるよ。」と言って笑いをとれたのだが、日本代表選手のFIFAワールド杯での行動が知れ渡り、最近は本気で受け止められるようになったので言わないようにしている。
スアレがプレミア初見参の2015-16シーズン、12節ではクロップのリヴァプール相手にアンフィールドで勝ち点3を奪うなど、クリスタルパレスは序盤のプレミアを大いに盛り上げた。この試合では途中出場したリール時代の同僚ディヴォック·オリジ(Divock Okoth Origi【1995年4月18日生】(ベルギー代表)とも顔をあわせている。
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そしてシーズンのハイライトは、FAカップ決勝戦。赤い悪魔の前に延長の末力尽きたとはいえ、試合終了後世界中の、フットボールファンがクリスタルパレスの選手達を褒め称えた。
終わってみればプレミア38試合中34試合に出場、しかも33試合はフル出場を記録したスアレ。セネガル代表でも不動のレギュラーとなる未来を本人は勿論、誰もが信じて疑わなかった。
そかし2016年のナインイレブン=9月11日激震が走る。
ヒースロー空港へと友人を愛車のメルツェデスで送り届けた帰路。M4高速道路での大事故。救急ヘリコプターで空中搬送され、右の太ももと顎を骨折する重傷で全治半年。唯、この程度の怪我ですんで幸運と思えてくる程大破した車両の写真は見るも無残。
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療養とリハビリに一年を費やした彼は2017年9月19日セルハーストパークに帰ってきた。
EFLカップ3回戦途中出場。11月のエバートン戦では今季リーグ戦初のベンチ入り。ピッチに立つことはなかったが旧友ゲイェ
のプレーに熱い視線を送った。
そのままベンチを温め続け年を越すと18年1月、曽ての師ガルシアを訪ねる。マルセイユへの移籍も噂されたが結局実現はしなかった。
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そんな彼をナショナルチームのメンバーに指名したのはアリウ·シセ:Aliou Cissé【1976年3月24日生】監督。3月23日ウズベキスタンとの親善試合。16年6月以来袖を通した代表のユニフォーム。スタメン出場すると、74分間の時間が与えられ彼はピッチ上で精一杯のアピールをした。ポジションを争うライバル達もがこの日だけはスアレの代表復帰を心から祝福し喜びを分かち合った。
その後自己破産手続きをしたとフットボール以外のニュースで紙面を賑わせたスアレ。5月17日ロシアに乗り込む23人が発表された。当然スアレの名前が読み上げられるはずはない。