昨季のイングランド・プレミアリーグを制したレスター・シティ。しかし、インターセプト数(ボール奪取数)とタックル数でリーグ最多スタッツを記録したエンゴロ・カンテは、この夏の移籍市場でチェルシーに約41億円で引き抜かれた。
その後、昨季リーグ2位の24得点を挙げたイングランド代表FWジェイミー・ヴァーディーはアーセナルを始めとするビッグクラブからのオファーを拒否して残留。本稿執筆時点では選手協会選出のMVPを受賞したアルジェリア代表MFリヤド・マフレズもレスターに残留している。
しかし、彼等を引き抜いた名スカウト部長=スティーブ・ウォルシュ氏が、シーズン終了後に契約延長にサインしながらも、同じプレミアリーグのエヴァートンへ“移籍”。違約金として1億5000万円ほどがレスターに支払われるとはいえ、実は今年の1月と2月にも、レスターのチーフ級のスカウトや強化スタッフがトッテナム・ホットスパーとアーセナルという北ロンドンに本拠を置く2つのプレミアリーグのクラブに引き抜かれていたため、これは間もなく開幕するプレミアリーグを王者として迎えるレスターにとっては、カンテの放出より痛いかもしれない。
体育教師として指導者を志し、16年間勤務したチェルシーでスカウトとして成功
現在61歳のウォルシュは、20代に体育教師として勤めながらサッカーの指導者を志してライセンスを取得。しかし、大成を収めたのは1990年から16年間を過ごしたチェルシーでのスカウト時代だった。
当時のプレミアリーグには外国籍選手がリーグ全体で合計20人ほどしかいなかった時代。イタリア代表では「至宝」ロベルト・バッジョの影で地味な印象だったFWジャンフランコ・ゾラや、ノルウェーという未開拓の土地からFWトーレ・アンドレ・フローという未完の大器の獲得を進言。168cmのゾラは誰もが知るレジェンドとなったのはもちろん、193cmのフローも加入初年度に15得点を記録。チェルシーで2トップを組み、『凸凹コンビ』と呼ばれたこの2人のFWの活躍を筆頭に、ウォルシュはスカウトとしての株を大きく上げた。
その後、2004年にジョゼ・モウリーニョ監督がチェルシーの監督に初めて就任すると、フランス担当のスカウトとしてコートジボワール代表FWディディエ・ドログバ選手、ガーナ代表MFマイケル・エッシェン選手のチェルシー加入に尽力。
レスターにフランスでプレーしていたマフレズやカンテを加入させれたのは、スカウトとしての腕はもちろん、この頃にフランスで人脈と選手獲得のルートを構築出来たからだろう。
>運命的な出会い~ピアソンとの二人三脚
ただ、16年勤務したチェルシーでのウォルシュの役職は、1人のスカウトの域に過ぎなかった。補強の意志決定の責任者ではなく、優秀な選手をスカウトし、交渉の席を用意するまでが仕事だったのだ。
2006年、そんなウォルシュをスカウト部長として招いたのはニューカッスル・ユナイテッドで。ここでウォルシュにとっての運命的な出会いがあった。当時、ニューカッスルで第2監督を務めていたナイジェル・ピアソン氏だ。
2008年に当時の3部リーグに在籍していたレスターの監督に就任したピアソンは、ウォルシュをスカウト部長として引き連れ、初年度に3部リーグで優勝。2年目にも2部・5位でプレミアリーグ昇格プレーオフに進出。この功績を買われた2人はプレミアリーグから降格したハル・シティにも引き抜かれた。
ハルで失敗した2人だったが、背水の陣で迎えた2011年11月、1度は離れたレスターに約1年半ぶりに復帰。ただ、ウォルシュにはスカウト部長としてだけでなく、「第2監督」を兼任する形での就任に至った。
第2監督兼任で改めて考えた「優秀な選手」と「チームに合う選手」~下部リーグに埋もれた才能を発掘